WBC不参加への是非と、白鵬批判。

WBC問題が更なる波紋を広げている。
論点が報道によっても論点が定まっておらず、
それ故に選手側に批判的な記事になっていたり、
一般視聴者に意見を丸投げ(この言い方は嫌いなのだが)
することによってスタンスを示すことそのものを
放棄していたりと、視聴者として
どのような見解を持つべきか混乱している。
そこで、語られているポイントと
語られるべき視点を並べてみた。
・野球界で頂点とする権威付けが成されているか
・収益の分配に不公平感は無いか
・WBCの出場は選手にとって魅力的か
上2点については様々なブログや記事で語られている部分なので
当方では3点目について注視していこうと思う。


現状では第3回WBCへの出場は選手にとっては
リスクばかりが目立つと言わざるを得ない。
先ずはコンディション問題である。
シーズンが4月から10月、日本シリーズに出場すれば
11月まで闘わなければならないのに、
3月の時点でトップギアに仕上げなくてはならない。
コンディションを維持するのは至難の技で、
それ故松坂大輔は第二回以降本来のピッチングを失い、
未だ光の見えない低迷を続けている。
そして、異なるボールへの対応。
メジャー球は日本のそれと異なるため、
身体への負担は大変なものである。
第一回に参加した石井弘寿はそれが元で
選手生命を断たれ、遂に引退することになってしまった。
そしてここが大変重要なポイントで、
野球にも相撲にも関わってくる問題である。
そう。
観る側のリスペクトである。
観ること自体は習慣化しているかもしれないが、
楽しいからという理由もさることながら
野球ファンの大半が地上波ならびにBSで
無料で観られるから、という理由であることが
非常に大きいだろう。
身銭を切らない、ということが何を意味するもの。
それは、当事者意識の欠落である。
入り口としてはいいかもしれない。
そこから徐々にコア層に成長していくのであれば
無料放送と現場との両立も図れることだろう。
だが、そこから現場に足を運ぶということが
なかなか成されないのが頭の痛いところである。
タダで観る娯楽としては魅力的かもしれないが、
それ以上の存在ではない。
ONやイチローといったスター選手が存在していれば
自然と醸成される考え方なのかもしれないが、
彼等は特別な存在である。
斉藤佑樹がいくら推されても、メディアリテラシーが
備わった今、パフォーマンスが伴わなければ
そうしたメッセージも伝わらない。
スポーツを文化と捉え、観ることに精神性という
ベースが備わっている場合はいいのかもしれない。
だが、スポーツ選手を高貴な存在というよりは
アスリートとしては優秀だが人間としては
ちょっと…という捉え方がかなりの割合であることは
紛れも無い事実である。
それは結果が伴わない時の容赦無い批判を観ると一目瞭然だ。
そう考えると昨今日本代表のサッカー選手が
自己啓発的な本を競うように出版しているのは
こうした土壌を見直させるのには
非常に効果的なやり方なのかもしれない。
娯楽の提供者たる存在ではなく、
国を代表して闘う超人としての位置付けさえ
我々が忘れなければ、代表に対する意識は
今とは変質することだろう。
そして、結果が出ない場合の批判についても
異なる論調になるに違いない。
そうでなければ、優勝が日常だと誤解された大会に参加することは、
選手にとっては単に渦中の栗を拾う行為に過ぎないことになる。
選手の一生を賭けて闘う場を
単に娯楽の一環として捉えてしまうのでは
それはあまりに悲しいことである。
おかしなプロセスを踏んできたが故に敗れた、
ということについては確かに批判は必要だ。
だが、その場に辿りついたこと自体
そもそもリスペクトに値することだという視点を
私は忘れずにいたい。
それは奇しくも先日の白鵬の件とも同じである。
リスペクトに値するだけのものを提供し、
今まで競技の為に尽くしてきたということを
目の前で起きている一つの事象故に
無かったことにするというのは余りにも悲しい。
たとえその事象が責められるべきものであったとしても、
事象に対する批判であって、その人自体を
責めるということに繋げるのは
短絡的ではないかと思うのだ。
八百長問題の一件以来、相撲界で
良からぬ事件が発生すると、リスペクト無き批判が
メディア上に闊歩するようになったと私は思う。
信頼を損なっているから、と言ってはそれまでなのだが、
公務員や自民党と同じ扱いでの非難は
(敢えてここでは非難と言わせてもらう)
単にルサンチマンを抱えたサラリーマン達の
捌け口にしかならない。
何かを貶めることは実に簡単だ。
誰しも完璧ではないし、どこかで矛盾を抱えて生きている。
それをいい方向に持っていくために、
メディアやネットは役割を果たしている。
誰かが意見をすれば、そこには責任を伴う。
なぜならば、発信した情報には受け取る者が存在するからだ。
そして受け取る側にも、取捨選択の義務が生じる。
だとすれば、多角的な視点から考えることは必須である。
リスペクト無き非難がもたらすもの。
それはマイナスだけだということを
WBC不参加と白鵬批判を観て私は思うのである。

WBC不参加への是非と、白鵬批判。” に対して1件のコメントがあります。

  1. SN より:

    私は件の取り組みを見ていないのですが、稀勢の里の立ち合いもよくなかったそうですね。
    テレビを観ていた家族は「あの変化を見た瞬間、白鳳は稀勢の里に怒ったんだなと思ったよ」と言っていました。

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