日馬富士の誤審を、批判すべきか理解すべきか。

日馬富士の取組で、誤審が発生した。
湊川親方が日馬富士の足が土俵を割ったと判断し、
取組を止めたものの、ビデオ判定の結果は
足が出ていなかった。
豪栄道有利の態勢だったのだが、
やり直し後の一番は日馬富士が勝利したことも
非常に不運だった。
そして例の如く、今日のニュースでは
この一件が大きく取り上げられている。
悪いニュースほど相撲は報道され、
もっと取り上げてほしい部分については
世に伝わらないというジレンマが有る中で
「やはり」という諦めにも似た思いを抱いた次第である。


恐らくこの事象を取り扱うとすれば
読み手の方が気になるのは
私がこの一件に対して「ふざけるな」と感じているのか
「難しい判定だし、仕方ないよね」と感じているか
どちらか、ということだろう。
結論を言うと、ふざけるな、と思いながらも
難しい判定だとも思っている、ということである。
興行として、無敗と1敗の対決の中で
審判の判断によって本来得られるはずだった
結果と異なる結果が出てしまったということに対しては
大いに不満だ。なぜなら止めなかった先に有った
結末こそがその日一番観たかったものだったからである。
その一方で、スポーツ紙上にも掲載されているように
肉眼で観れば土俵を割っていると判断しても
致し方ないような状況だったということも理解している。
相撲は行事、5人の審判、そして対戦前の力士2名の
計8名によって勝負を裁く、世界的にも類を見ない競技である。
※11/25訂正しました。
その上、裁定にはビデオを用いる。
勝負が決した取組に関しては客観的な目線を
数多く採り入れることによって
誤審が極めて発生しづらい体制で運営されている。
だが、これはあくまでも勝負が決した
取組に対するチェック体制なのであって、
勝負が決する前に決したと判定するのは
1名の意見だけなのだ。
つまり、今回のように誰かが誤って勝負有りと
判定してしまった場合は、仮にそれが誤審だと
認めたとしても前と同じ状態には戻れないのである。
これは、相撲の審判制度に於いては
唯一と言ってもいい穴ではないだろうか。
事実、私はこうした形での誤審について
過去に発生した記憶が無い。
それほど非常にレアな事象なのだと理解している。
再発防止策としては
・審判技術の向上
・全ての取組を終了後にビデオ判定し、
 誤審が無いかをチェックする
ということが挙げられるが、何よりも
楽しみにしていたこの取組に水を差されたことに対する
感情のやり場をどうすれば良いか、が
何よりの問題だろう。
未発生のレアなエラーがよりによって
一番楽しみな取組で発生してしまった、
という不運としか言いようの無い一件だった
ということで処理することも出来るだろう。
もしくは審判の不手際で一番の楽しみを
奪われてしまった、という考え方で
再発防止のためにも審判技術向上のためにも
批判しておくべき、という考え方も有るだろう。
どちらにしても、感情論に振り回されずに
自分の意見を持ってほしいとだけは
一ファンとして強く願う。

日馬富士の誤審を、批判すべきか理解すべきか。” に対して2件のコメントがあります。

  1. mschr より:

    微妙なので一応決着がつくまで取らせて、豪栄道が勝てばそのまま、日馬富士が勝ったら物言いをつけるというやり方は出来ないのでしょうか。

  2. 馬耳西風 より:

    結果的に誤審をしてしまった湊川親方ですが、私は、審判の中では最も力量のある方だと思っています。勝負審判の経歴も長く、いつも、的確な判断をされていらしゃいます。
    審判長や副部長はある種「役職」となっているため、逆に、さほど、「審判としての目」を持っていない方が多いように思います。
    勝負審判は、審判長と副部長を除き、日に2回ないし、3回土俵下に座ります。相当キツイ仕事です。いつぞや、「リスペクトがなくなっている」とお書きになっていらっしゃいましたが、力士だけでなく、審判、行司、呼出まで含めて考えるべきではないでしょうか。

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