幕下の勝ち越しを懸けた戦いは、究極のデスマッチである。

優勝争いが佳境を迎えている。
大関と日馬富士が取りこぼす中で
白鵬が安定した強さを見せる。
3場所連続して優勝を逃していたことを
忘れさせるほど絶対的な強さである。
千秋楽を前にすると、実力者同士の対決が
増えることも有って、土俵は
序盤戦とはまた違った種類の熱気を帯びる。
横綱にとっては強さを見せることが
唯一の存在証明であり、
大関以下にとっては彼らを倒すことこそ
最大の目標となるため、
格下対格上という構図には出せない味わいが出てくる。
こうした楽しみ方が、16時からNHKで相撲を
観る人たちの大半の楽しみ方であるが、
ある意味横綱よりも熱の有るドラマが
終盤には展開されていることはあまり知られていない。
そう。
幕下の戦いである。


ご存知の通り、幕下は固定給が存在しない。
そして、十両を目指して120人の大男たちが
凌ぎを削るわけだが、120人の中でトップに
立たないことには一人前には成れない。
三段目や序二段で数年頭打ちになれば
実力が足りないということで諦めが付く。
だが、幕下だとそうはいかない。
あともう少しで十両が見えるのだ。
力士として身を立てようと志す者にとって
幕下で終わることは負けを意味する。
だから幕下に在籍していることは
彼らにとってプライドを満たすことには繋がらない。
十両に上がれない者は、結局何かが足りない。
精神的なものも居れば、身体が足りない者も居る。
足りない者同士が、一人前になることを夢見て、
自らの存在証明をするための戦いこそが
幕下相撲ということなのだが、
7番目の相撲となると、互いが勝ち越しと
負け越しを賭けることになる。
この相撲は、実に見ものなのだ。
存在証明をするために闘う者同士が、
地位の浮沈を賭ける。
給料を貰っている者同士なのではない。
その地位に近づくために、一時も猶予が無い者同士が
この究極の対決をするのだがら、
気持ちの入ったサバイバルマッチになるわけである。
この戦いに敗れた者は、
場合によっては夢を諦めて郷里に
帰ることになるかもしれないし、
ちゃんこ屋に転身するかもしれない。
十両以上の勝ち越しを賭けた対決が
強さを証明するためのものだとすれば、
幕下の戦いは大げさでも何でも無く
生死を賭けた戦いと言えるだろう。
こんな現代のコロシアムとも言うべき
デスマッチが、幕下ではそこかしこで行われている。
何とも残酷なことだが、気持ちが入れば入るほど
技術や身体は付いてこないかもしれないが
素晴らしい戦いになるわけである。
観ている人は少ないかもしれないが、
その目は誰よりも熱心であることが
この戦いの勝ちを示している。
まだ観たことが無い方は、
NHK BSか大相撲公式サイトから
ストリーミング中継で確認していただきたい。
幕内では観られない対決が、確かに存在しているから。

幕下の勝ち越しを懸けた戦いは、究極のデスマッチである。” に対して1件のコメントがあります。

  1. 相撲ファン より:

    常日頃思っていることを表現して頂いた気がします。引き込まれる文章でした。
    感動しました。
    ありがとうございました。

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