1047勝達成。白鵬が相撲のために捨てた3つのものとは。

1047勝。
魁皇が40歳近い年齢で、千代の富士が30代半ばで到達した領域に、白鵬は32歳にして足を踏み入れた。年少記録でも顔を出し、横綱在位も10年を超えた。一言で表すと太く長い力士人生だ。
これだけの力士を、今後私は見ることが出来るのだろうか。
無理だと分かっていて、自問自答している。
思えば白鵬は、大事なものを捨ててここまで来た力士だ。
中学を卒業する年齢で、モンゴルを飛び出して角界入りした。
白鵬は、この若さで退路を絶ったのである。
外国人力士は継続的に入門している。だが、この歳で入門する力士は激減している。ここ10年でそういう外国人力士は殆ど居ない。日本人力士でさえ、中卒の数は徐々に減少しているほどだ。
モンゴル人で大相撲に入る力士の多くが、近年では日本の高校や大学を経て入門している。照ノ富士も、逸ノ城もそうだ。
だが、誰もが知ってはいるが、大相撲というのは今のところ入門が早いほど成長するチャンスが多く残されている世界だ。分かってはいるが、この若い時期にリスク有る決断に踏み切れないほど先行きが見えないのが2017年という時代なのである。
高卒と比較して3年、大卒と比較すれば7年、記録を残す機会を多く創出し、更には強くなるための機会も創出したことになる。単純比較で高卒力士が白鵬と同じ成績を残したとしても、まぁそれは想像し難いことなのだが、1047勝する頃には35歳だ。大卒であれば39歳である。
大相撲は今のところ、高齢の力士が若い頃と同じペースで勝てる競技ではない。それは白鵬とて例外ではない。
白鵬が捨てた二つ目のもの。
それは、世間の評価だ。
朝青龍が全盛の時代に白鵬は横綱昇進した。
朝青龍が自由に振る舞えば振る舞うほど、横綱の品格という耳慣れぬフレーズが独り歩きすることになった。思えば横綱の多くは品行方正ではなかった。特に、大横綱と言われた力士達は殆ど大きな騒動を起こしている。
そういう事実に気づかぬほど、横綱とは力士としても人間としても規範であることがあの頃求められた。それは朝青龍の振る舞いに対するアンチテーゼだったのかもしれない。そしてそのアンチテーゼとして求められる力士像を体現したのが、白鵬だったのである。
元々は奔放な力士だった白鵬が、横綱として求められるものを体現した。時同じくして様々な問題が起こった際に、大相撲は信頼回復のため力士に品格を求めた。どん底の中、世間が相撲に厳しい中、観客がまばらな中で、白鵬は力士としても人間としても素晴らしいところを見せ続けたのである。気がつくと、世間は相撲の面白さを思い出し、客足が戻った。
だが、この頃白鵬は一つの壁に直面していた。
後の先の相撲で以前ほど勝てなくなったのだ。
そして白鵬は一つの決断をした。
品格よりも、勝つことを選んだのだ。
勝つためには、ラフな相撲も厭わなかった。隙を突くために立ち会いで微妙な駆け引きを使うこともあった。猫だましすらも、白鵬の選択肢の一つとして存在していたほどだ。
スタイルを転換した結果、毎場所のように優勝を争うようになった。当たり前のように優勝し続け、新記録を達成した時は祝福よりも審判部批判が話題になった。それほど白鵬は強く、品格を捨てた白鵬に世間は冷たかった。
だがそれでも、白鵬にとって勝ち続けることは重要だったのである。
そして白鵬は、三つ目のものを捨てる決断を下した。
言うまでもないが、それは国籍である。
白鵬は大横綱であると同時に、モンゴルでは英雄の息子だ。大相撲の世界に残るには日本国籍を取得せねばならない。だが、英雄の息子であるが故にその決断を下せば多くの人々を失望させることにも繋がる。
一説にはモンゴル国籍を保持した状態で親方に就任するための道を模索したという話も有るが
真相は分からない。そして、日本国籍の取得が大相撲の世界に残るための条件であることの是非は、また別の話だ。だが、今の大相撲の世界に残るには、日本国籍が必要なことだけは事実なのだ。
日本人も、モンゴル人も、全ての人が幸せになれるシナリオは2017年には残されていなかった。大相撲に残るなら多くのモンゴル人が失望し、大相撲から離れるのであれば日本人が失望するのだ。白鵬には、茨の道しか用意されていなかったのだ。
そして白鵬は、茨の道を選択した。
もう白鵬には、大相撲の世界で生きるしか道が残されていない。たとえ帰る国を失っても、英雄の息子であることをある意味で捨てても、白鵬は大相撲を取ったのである。
1047勝するために、そしてこの後更に勝ち続けるために、素晴らしい弟子を育てるために、白鵬はターニングポイントで大事なものを捨ててきたのだ。思えばその覚悟こそが、偉大な記録を作り上げるための原動力だったのではないだろうか。
大相撲は今、多くの力士を獲得するために覚悟やリスクを少しでも減らそうと努力している。それ自体は間違っていないと思う。才能が集まらなければ、競争は生まれないことを私も知っている。
だが、リスク有るところに覚悟は生まれ、覚悟有るところに道は開かれることを白鵬は教えてくれたと私は思う。更なる大相撲人気獲得のために、入門しやすい環境を整えたとしたら、白鵬は生まれてこないことだろう。
是非は有るが、白鵬は覚悟によって生まれた大横綱だと思う。白鵬を嫌いな人は居ても、白鵬を弱いと思っている人は居ないことだろう。好き嫌いという磁場を捨て、ただ強さのために、ただ大相撲のために尽くしてきた力士。それが白鵬なのである。
これだけの相撲と覚悟が見られる。
2017年に白鵬を見られることは幸せなことなのだ。
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1047勝達成。白鵬が相撲のために捨てた3つのものとは。” に対して3件のコメントがあります。

  1. engagementring より:

    玉稿を拝読し、涙が滲みました。
    小生、白鵬関を入門の頃から観て参りましたが、それは喜悦と苦悩の間を幾度も幾度も「屈折」し続けた、輝かしい艱難、呪わしい栄光…ひたすらにくるめく相撲道を、唯独り歩いているように思われます。
    外でもありません。貴兄に懇請申し上げたいのです。どうかこの先も、白鵬関のことを見続けてあげて下さい。あの猛く優しく悲しい横綱のことを、わかってあげていて下さい。遠い蒙古の大地から、海を越えやってきた稀代の力士が、いつまでも人であり続けられるよう、いつか鬼になってしまわぬよう、何卒守ってあげて下さい。
    明朗と陰鬱、理知と蛮勇、豪放と繊細、いずれもを呑み込み抱え込んだ器量大なる青年Мөнхбатын Даваажаргал…。
    小生が管見の限り、貴兄ほど白鵬関の光も陰も、均しく語られる方を別に知りません。玉筆益々健なるを祈念しております。

  2. maru011 より:

    中卒で相撲界に飛び込むのは、今の時代ではいろいろな社会的な障害もあって難しいでしょう。
    通常の高校に通いながら修行というのも時間的な制約もあって難しいでしょう。
    高校と修行の両立の可能性として通信制の学校と提携しながら、中卒・高校中退の力士を面倒見てる部屋もあります。
    日本において通信制の学校の利用頻度と知名度がもっと増えれば、もう少し変わるかもしれませんね。
    新弟子を集める親方たちも、いろいろなところに顔を出しているようですね。
    中学高校の野球部や柔道部といった、相撲部以外の運動部へスカウト・声掛けもたくさんあるでしょうね。

  3. shin2 より:

    十日目の高安vs宇良は間違いなく後世に語り継がれる名勝負だが、両力士とも十一日目以降、まるで精彩がない。宇良は右膝を負傷し、高安も体力を使い果たしたようだ。
    そういえば、高安・宇良の両者との対戦で、白鵬は横にズレる立合いを選択している。とくに高安戦は新記録の一番だ。
    十四日目の豪栄道戦も、張り手カチ上げ叩きで仕留めた。新記録の翌日だとか、相手は大関だから、という考え方は一切しない横綱だ。
    「負けないことが横綱相撲だ」という白鵬の主張に、誰も言い返す言葉を持たない。
    張り差しは白鵬が相撲の戦術として定着させた、と言ってよい。今ではNHKのアナウンサーが「立合いに張り差しを選択しました」とごく普通に実況している。
    貴乃花親方は、格下の力士相手に白鵬が立合いにズレることがお気に召さないようだが「品格よりも、勝つことを選んだ」白鵬には無意味なことだろう。
    「懸賞の取り方に品がない」「花道でガッツポーズするな」「対戦相手への敬意がない」という白鵬批判も、「1049勝・38回(おそらく39回になるだろう)優勝」という事実の前には空しいだけだ。
    そもそも論点が「ズレている」。

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