相撲人気をブームで終わらせないために。そのカギを握るのがお笑い芸人「マービンJr」さんである理由とは?

相撲人気が凄いところまで来ている。
初場所は18年ぶりの15日間満員御礼が出ているし、場所後の相撲特集番組の多さと言ったら記憶に無いレベルである。そして更には、相撲関連書籍発売ラッシュ。もはや全てを追いかけるのが困難なレベルにまで到達している。これはもう、相撲人気というよりは、相撲ブームという言葉で表現した方が良いかもしれない。短期間でここまで話題に上り、実際に観客動員にも視聴率にも結び付けているのだから。
しかし、ブームと言われるムーブメントは私の覚えている限りでも幾つかあった。
Jリーグ、バスケットボール(スラムダンク・NBA)、K-1、総合格闘技、他にも時間を掛ければ色々と有ると思う。だがこの30年の中で、ブームを経て確固たる人気が定着したものが果たしていくつ有っただろうか。Jリーグは人気が無いと言われることも多いが、この中では地域密着に成功したと言えるのではないかと思う。それほどブームをその後の繁栄に結び付けた事例が無いのである。
ブームを産み出すことは可能だ。だが、ブームからファンを定着させること。それが難しいのだ。1年半で、相撲の入口に来た新規ファンは途方もない数に及んでる。故に今、チケットが入手困難になっている。だからこそ今はもう、彼らをどのように取り込むかが重要なのである。だがそれが今出来ているかと言えば、そうではない。
入口に来たファンに対して行っているのは、詰まるところ「相撲を見せる」ということだけである。
このような議論になった時、解決策として言われるのが「土俵の充実」というキーワードである。相撲自体が面白くなければ、いくら何を言っても響かない。尤もである。だが「土俵の充実」というのは大前提ではないかと私は思う。サービスとして高い品質を提供せねばならないのは当たり前のことだからだ。
問題は高い品質を提供しても顧客に響かない時にどうすれば良いか?ということである。例えば女子バレーボールはロンドンオリンピックで銅メダルを獲得した。Vリーグの品質はかつて無いほど高まっているのに、動員にも注目にも結び付かないことを思えば品質の高さは必要条件であるが、それだけではないことがお分かりいただけるだろう。
ではどうすれば良いのか。これが一番の問題である。これを解明するには面白「げ」の「げ」たる所以を考えることから始めたいと思う。
今相撲がブームなのは、遠藤人気に端を発した相撲界にポジティブな空気が流れていることに起因している。観ている側は「面白い」という実感ではなく、面白「げ」な部分に引き寄せられているのではないかと私は思う。つまり、ブームという追い風が去れば面白「げ」という名の補助輪が取り払われることになる。この時に補助輪を外しても「面白い!」と思っているファンだけが、その後残るのである。
そう。
今すべきは、面白「げ」ではなく「面白い!」と感じるファンを増やすことなのだ。
だが、その神髄に触れるためにいきなり技術論を語っても、相撲の文化的側面について語っても、残念ながら付いてくるのはかなりの変人だろう。入口に居る人が触れるには話題としてあまりにもヘビーすぎるし、それは読み書きを覚えたての小学生にトルストイを読ませるにも似た行為である。つまり入口に居る人のレベル感に合わせて、相撲の面白さを語る必要が有るのだ。
そこで思いつくのがデーモン閣下の存在なのだが、閣下はあくまでも相撲素人である。デーモン閣下が面白いのは、相撲素人の目線から素晴らしい熱量で語れるからなのだ。相撲に完全に興味の無い人の目線からも語れるし、ディープな相撲ファンの視点で語れる反面で「少しだけ相撲をかじった人の視点」にはなりにくい上に、やはり相撲のプロには技術面などの理解の面で及ばない。
ではプロで喋りが達者な方として思いつくのが中村親方(琴錦)や式秀親方(北桜)である。解説だと外れ無しのお二人ではあるが、プロの視点が強いためにプロ寄りの説明になってしまうし、喋りは「親方として素晴らしい」レベルであることは否めない。
だからこそこの役割の方は、相撲素人の視点が有り、尚且つ相撲のプロとして語れなければならない。言うなれば素人にも分かる言葉で、相撲のプロが知っている神髄を翻訳出来る存在が必要なのである。相撲素人の目線を持ち、プロの技術を分かりやすい言葉で語れる存在。それが出来るのは、私は世の中でただ一人ではないかと思う。
マービンJrさん。
お笑い芸人で、元力士。埼玉栄でレギュラーを張り、相撲のイロハを叩き込まれた方である。技術的なバックボーンは申し分無く、付け加えると彼は高校卒業後に幕下中位までストレートで昇進した逸材でもある。その後体調面の問題から早く引退してしまったことが残念なのだが、「もし」が有れば恐らく十両は確実だったことだろう。
そしてこの方が特筆すべきなのは、技術を言葉に変換できる点である。技術を持っていることとそれを言葉に出来ることは別の才能なので、テクニシャンなら誰でもその技術を周囲に伝えられる訳ではない。もう一つ付け加えると、話すことと文章にすることもまた別の才能である。言葉に出来れば技術指導が可能だが、今必要なのは文章化する才能でもある。
技術が有ること。技術を言葉に出来ること。そして、技術を文章に出来ること。これが何と難しいことか。最近の「大相撲ジャーナル」を読まれた方はご存知かもしれないが、相撲好き芸人の対談の中で、マービンJrさんは幕内力士の特徴について一言説明をしている。長所や弱点の説明が驚くほど端的で且つ、素人にも分かる表現なのである。これはデーモン閣下にも中村親方にも出来ない表現であった。
復帰後の栃ノ心の強さや逸ノ城の弱点など枚挙に暇が無いのだが、確実に言えるのはマービンJrさんの文を読むと楽しく相撲を劇的に理解することが可能だということだ。
昨日彼のブログで秀逸だったのが、「逸ノ城は、実は器用である」というところから「強引ではなく、豪快」という表現に行き着いたことだった。強引と豪快の磁場は似ている。だが、豪快さは強引さとイコールではない。技術に裏打ちされた豪快さも、強引な豪快さも存在する。この表現は、やはりバックボーンとして技術を叩きこまれていることに起因するのだろう。
だからこそ今相撲の入口に来た方は、今すぐマービンJrさんのブログを読むことをお勧めしたい。この方が相撲ブームを確かな人気に転換するキーマンであることが理解できると思うから。
「マービンJrのブログ。~ボクは陽気なお相撲さん〜」はこちら。
ブームをブームで終わらせないこと。これは本当に難しいことだと思う。それが出来れば、先人の誰もが着手している。考えてみるとブームが起きた後で、この課題について本格的に着手した団体は有ったのだろうか。ブームという名の特需に溺れて、一時のあぶく銭に溺れて終わっていったように思う。
大相撲は20年前に一度ブームを経験している。そして、そのブームを一過性のものとして取り逃した苦い経験も有る。あの時ファンをしっかり掴めていたら、今ここまで苦労していなかったとも思う。大相撲が今、若い新規ファンを増やさねばならないのは、結局あの時のことが有ったからである。
だから、大事なのはこれからなのだ。時代の担い手として、マービンJrさんに大いに期待したい。
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