中盤での横綱大関の3敗は、地殻変動に依るものである。今場所の最大の興味が白鵬照ノ富士戦である理由とは?

白鵬が全勝を守り、1横綱3大関が3敗で並んだ。
9日目で既に3差が付いている現状を見ると、場所前の騒動は何だったのかと言いたくなるほど白鵬だけが無風で、他の力士には荒れる春場所が猛威を振るっている。いや、むしろあの騒動が有りながら、とても相撲に集中できる状態でないにも関わらずここまで完璧な内容で勝ち続けていること。それこそが最大の「荒れる春場所」なのではないかと思う。
荒れる春場所については白鵬以外がだらしないからという意見が支配的だが、各自が敗れた相手を振り返ってみよう。
日馬富士:逸ノ城、栃ノ心、豊ノ島
稀勢の里:栃煌山、妙義龍、逸ノ城
琴奨菊 :栃煌山、逸ノ城、豪栄道
豪栄道 :玉鷲、豪風、碧山
何か気付くことは無いだろうか。そう。豪栄道を除く3人は揃って実力者の一発を喰らっているのだ。この中で目立つのは逸ノ城の3勝、栃煌山の2勝だ。考えてみると、1年前は逸ノ城の名前はこの中に無かった。仮に逸ノ城が居なかったとして別の力士を相手に勝ったとしたら、3力士は揃って2敗。9日目までであればむしろ普通の成績だ。
逸ノ城の存在が、上位の競争を激化させている。その競争に上位が呑み込まれているということだ。1敗する可能性が極めて高い力士が1名加わっただけで、上位は混戦になる。本来世代交代というのはこのような時期を経て行われる。誰もが新世代に呑まれれば、そこに新時代を感じる。
上位力士の力不足というよりはそのフレッシュな将来性に希望を見出すことだろう。そして新世代に淘汰される旧世代を見て、盛者必衰という言葉を思い出すことだろう。私の世代では霧島の、少し下の世代であれば貴ノ浪の、最近であれば栃東の大関陥落にはこうした感想を抱いたはずだ。だが悲しいかな、相撲ファンとしては大阪場所を観ているとそこには前向きな印象ではなく上位の不甲斐なさという視点で語ってしまう。
そうさせてしまう理由は、つまるところ白鵬の存在である。新世代のチャレンジャーと実力者が束になって掛かっても、白鵬の牙城は揺るがない。むしろこれまで以上にその強さは堅牢なものになっているほどだ。優勝記録が懸かっていたここ数場所と比較しても、安定感は特筆すべきである。
大相撲の未来を、私達は相撲界の顔たる力士に見出す。大関が多少喰われることではなく、時の第一人者の立場が危うくなること。そこに「何かが変わるかもしれない」という性質の、血湧き肉踊るような独特の興奮を覚える。例えば貴乃花が新時代を築くアイコンとなったのは千代の富士を破ったからだった。これがもし旭富士が相手だったとしたら、相撲界の未来を変える力士のエピソードとしては弱いのだ。恐らく「千代の富士に勝ってこそ」という更なる期待で語られたことだろう。
確かに私達は、相撲界の地殻変動を上位陣が3敗で並んでいるところから認識しなくてはならない。だが、次代を作るには結局白鵬にいかに挑み、いかに勝つかなのである。
そんな中で逸ノ城と共に無限の可能性を見せているのが、照ノ富士だ。白鵬の優勝がほぼ決まった今だからこそ、最大の焦点は照ノ富士が白鵬にいかに闘うか。これに尽きるのである。
今場所の照ノ富士の内容はとにかく凄まじい。多少の不出来は性能の差でねじ伏せる。モンゴル人というよりは、東欧系のの強さ。「早い、荒い、強い」という今までのモンゴル人特有の強さではなく、身体能力の高さというベースに高校相撲で基礎を叩きこむ。高校相撲の経験があるからこそ、安易の道に走らずに相撲の基礎に基づいた、地に足のついた形を彼らは模索する。東欧系のスポーツエリートが克服できなかった壁に、新世代の彼らが挑んでいる。
だが、その東欧系のスポーツエリートたる琴欧洲と把瑠都が時代を創れなかったのは、偏に白鵬の存在に依るものだった。彼らの最大の不幸は、白鵬の全盛期と自らの全盛期が重なったことだった。今は、違う。白鵬の強さは日々変化している。まるでそれは自らの時代の終わりに抗うかのように。そこには確実に付け入る隙が有る。
照ノ富士が今日妙義龍に見せた、技術や定石を飛び越える圧倒的な性能差を見せ付ければ、白鵬はそれに対応せざるを得ない。外四つからの吊りのような、普段喰らわないようなそれを仕掛けた時、白鵬はどうするのか。白鵬に挑むことは、勇気が要ることだと思う。ましてやそれがモンゴル人であれば尚更だ。
白鵬対照ノ富士。
ここから大相撲の未来が、始まる。
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