相撲界のハンカチ世代の苦境。幕内不在の危機に思う。

「ハンカチ世代」が全盛期を迎えている。
野球界では大型契約の真っ只中で田中将大がニューヨークヤンキースのエース格を張り、西を見れば前田健太がロサンゼルスドジャースで奮闘している。
日本に目をやると西武ライオンズには安打記録の秋山翔吾が、ソフトババンクホークスにはトリプルスリーの柳田悠岐が、読売ジャイアンツでは坂本勇人がチームの顔として君臨している。
「ハンカチ世代」で検索すると、あの選手もハンカチ世代なのかと驚かされるのだが、それほど多くの選手が凌ぎを削り、互いが互いを高めているのが強みと言えるのではないかと思う。
今の球界を盛り上げ、高め、熱狂させているのがハンカチ世代である。世代の頂点が交代したことからこの呼び名も考えものなのだが、高校三年生の当時から既に世代として突出しているという意味合いも込められていると思うと、名残としてのこの呼び方も間違っていないのではないかと思う。
さて、そんなハンカチ世代なのだが、相撲界に当てはめるとどうなるか。今年で28歳を迎える世代である。勢いだけでなく技も体得し、肉体的にも衰えがなく、相撲として一番充実してくる年代だ。
昭和63年4月2日から平成元年の4月1日までに生を受けた力士が、今一体どうなっているのか。興味本位で「相撲レファレンス」を開けてみると、とんでもないことが判明した。
なんと、来場所幕内にハンカチ世代が誰も居ない可能性が有るのである。
夏場所に幕内に在籍していたハンカチ世代は、旭秀鵬・青狼・そして千代大龍の3人だ。だが旭秀鵬は全休、そして青狼と千代大龍は負け越しで十両への降格が決定的となっている。十両からの昇進も期待できるものは居ない。朝弁慶の活躍が明るいニュースといったところだ。だが、重要なのはそういうことではない。
そもそもこの働き盛りの年代で、大相撲の世界で地位を築いている力士が居ないという事実。それこそが最大の問題なのである。言い換えると本来充実しているはずの世代抜きで、大相撲はこの人気を支えているのだ。
そしてこの相撲界のハンカチ世代について、一つの事件が起こった。常幸龍の幕下降格である。
大学卒業後にデビューからの連勝記録を作り、世代をリードしてきた常幸龍。幕内昇進後は幕内下位で安定するも、小結への昇進を果たし、日馬富士を破って金星も獲得した。それも1年半前の話だ。そんなに昔のことではない。
膝の怪我で十両に番付を落とし、「常幸龍が十両」というなんとも言えない違和感を覚えていたのだが、番付というのは本当に恐ろしいもので、ここ最近は十両でも勝ち負けの相撲になってしまっていた。更に一度の途中休場を経て、今度は十両でも苦しい相撲が増えてしまった。
元々立合で優位を作るタイプではなく、組み止めての逆転というのが一つの形だった力士である。連勝中も有り得ない逆転を多く見せてきたことから期待値を高めてきた経緯が有る。だが膝が悪いのか、攻めを受けられない。中に入られると後退してしまう。そして、土俵際でも粘れない。夏場所に幕下の大輝に一方的な内容で敗れた取組は、最近の常幸龍を象徴するものだったように思う。
2歳上の昭和61年世代は日本人も外国人も、中卒も高卒も大卒も全て充実している。そして横綱も大関も、照ノ富士を除いて全員ハンカチ世代より年上だ。衰えるにしては早すぎる。そもそも近年ではトレーニング技術の向上が為されたせいか、相撲界でも活躍できる年齢のレンジが広がりつつある。旭天鵬は言うに及ばず、最近の嘉風の活躍など記憶に新しいところだろう。
だからこそ、全盛期を迎えているはずの彼らが軒並み番付を落しているのは非常事態なのである。考えてみると常幸龍だけでなく千代大龍も、数年前と比べると前への推進力はかなり失われている。病気の影響からか身体も小さくなったし、突き押しだけで勝つ取組は激減している。
受けの強さが身上の力士が、受けられない。
強烈な突き押しが身上の力士が、身体を増やせない。
これは力士としてはかなり苦しいことだ。周りの力士達は最新技術で全盛期を伸ばす中、自分はその恩恵を受けられないどころかその最新技術によって差を付けられているのだから皮肉としか言いようが無い。誤魔化しが利かないのもまた、2016年の相撲界の特徴なのである。
千代大龍も、常幸龍も、将来を感じる力士だった。2年前に「次の大関は?」と聞かれた時に私は迷わず千代大龍と答えていた。それほどあの相撲は上位にとっても脅威だったのである。
世代をリードしてきた栃乃若も、今は居ない。切磋琢磨する相手が姿を消したこともまた、この世代の一つの不幸なのかもしれない。刺激を受けることも、嫉妬することも、優越感に浸ることも、強く成るためには必要なことなのだから。
相撲界のハンカチ世代の苦境を想うと、各自の低迷をどう捉えれば良いか難しいところだ。明らかに努力が足りない、明らかに工夫が足りない、明らかに気持ちが足りないという時は腹立たしいが、力士に落ち度が有る場合、観ている側は楽なのだ。
この苦境は、簡単なことではない。
苦境に立つ力士にとっても、観る側にとっても。
軽々しい言葉や希望的観測を述べて、この記事を終えることは簡単だ。私はこの記事の結びにどう着地するか、本当に迷っている。
「もう一花を」というには若過ぎる。
「しっかりしろ」というには事情が有る。
「頑張れ」というのも無責任だ。
そう。
本当に難しいのである。
難しい状況をどう捉えるかという問題について、相撲界のハンカチ世代を通じて私は考えてみようと思う。恐らくそれは時間を要することだ。その中で私なりの答えを見出していこうと思う。それもまた、2016年の大相撲なのだから。
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