栃ノ心の優勝が大相撲にとって重い意味を持つ二つの理由。中編

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栃ノ心の優勝が大相撲にとって重い意味を持つ二つの理由。前編

平幕優勝の多くが、恐らくは人生最良の瞬間を迎えたことに対して見ている側も幸せな気分になり、そこまでの苦労が実ったことに感激するものだ。

今場所の栃ノ心の優勝は素晴らしかった。素晴らしい相撲だった。そして、素晴らしい精神力だった。だがそれは単なる怪我からの復活ストーリーというだけではない。そこに大きな意味があることを私は強調したい。

まず思い出していただきたいのが、今場所の状況だ。
そう。
誰も万全な力士が居ないのである。

横綱はいずれも苦しい立場だ。

あの白鵬が立ち合いで苦しみ、途中休場を余儀なくされた。まだ白鵬は、今のコンディションでオーソドックスな立ち合いの相撲が確立できずに居る。

稀勢の里は怪我の後遺症に苦しみ、次は進退を賭けた場所になってしまった。鶴竜も終盤4連敗し、かつての鶴竜でないことが明らかになってしまった。

大関が中心かといえば、そうではない。

豪栄道は時々良い場所が有るが、多くの場合序盤で躓き、勝ち越しラインで終えることが多い。高安も大関として未だ安定して力が発揮できているとは言い難い。

では、若手が席巻しているかと言うと、そこまでは至っていない。

将来の大関は居るかもしれない。だが現在進行形で際立った成績を残せる力士は、どこにも見当たらない。貴景勝も、阿武咲も、御嶽海も、北勝富士も、上位で勝ち越すのが精一杯だ。

そう。
今、大相撲は誰が優勝してもおかしくない時代なのである。

例えば、千代大龍はどうだろうか。
彼の相撲は勢いに乗ると横綱や大関が相手でも猛威を振るう。

例えば、玉鷲はどうだろうか。
ノド輪が入れば反撃が難しい相撲だ。

逸ノ城も開眼しつつあるし、遠藤も上位で戦えるところまで戻ってきた。

今場所、栃ノ心が優勝することを果たして誰が予想しただろうか。願望込みではない、勝算のある予想として、だ。恐らくゼロに等しいのではないかと思う。

今は、違う。
そう。
栃ノ心に出来たのだ。

栃ノ心は素晴らしい力士だが、突出した存在ではない。それは今の地位が示している。だが、そんな栃ノ心が努力を重ね、一度波に乗り、自分に打ち勝てば賜杯を抱くことが出来る。そういうことを栃ノ心は教えてくれたのだ。

もしかするとこのまま良い波に乗れば、角界の中心に君臨することさえも出来るかもしれない。横綱も大関も不安が残り、大関獲りの真っ只中の力士さえも居ない今は、この20年の中で最も大きなチャンスなのである。

力士よ、野心を抱け。
栃ノ心を見ろ。
幕内下位で燻っている場合ではないのだ。

そしてもう一つ、栃ノ心は大事なことを教えてくれたのである。

続く。

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