number webに「次の大関を昇進速度から予測する」を掲載いただきました。

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夢を持たぬ子供が現実を知るまで

夢を見ない子供だった。
私の限界は私が誰よりも知っていたからだ。

周囲がプロ野球選手やアイドルになりたいという作文を書く中、私は「箱根駅伝に出て、オリンピックにマラソンで出場して、人間国宝になりたい」という文章を書いていた。もちろん本気ではなかった。将来の夢という題材だったから仕方なく子供っぽい文章を書いたのである。

冷めた子供だと思う。
大人びていた訳ではない。
ただ、光り輝く未来が私には見えなかった。

中学校に入ると、私は現実を知ることになった。

地区で一番の高校に入るには少し成績が足りなかった。剣道で関東大会を目指したが、一歩及ばなかった。勉強をしても、スポーツをしても、際立って優秀な生徒ではなかった。私は社会の歯車として生きねばならないことをこの頃悟った。

それは別にショックでもなかった。
夢を持たぬ子供だったのだから。

ただ、己の限界を知りながらも、出来る出来ないの次元ではなく、出来たら楽しいだろうと考えていたのが、スポーツライターという仕事だった。

numberの衝撃と、憧れ。

風変わりな家庭で育ったことは、大学くらいの頃に自覚した。毎日新聞と一緒にスポーツニッポンを宅配している家など、そうは無かったからだ。

毎日新聞は読まなかったが、3歳の頃からスポーツニッポンは毎日読んでいた。お陰で大半の漢字はこの頃から読むことが出来た。

小学校2年生の頃に、numberに出会った。自分の中で革命が起きた。西本聖が巨人で浮いていた話を読んで衝撃を受けた。生きることは綺麗なことばかりではない。先生の教えとは異なる、生身の人間がそれぞれの想いを抱きながら衝突し、戦う世界がこの世には存在する。それを知った時、国語の教科書が全て馬鹿らしくなった。

こういい文章を書きたいとは思わなかったが、ただ楽しかった。スポーツノンフィクションという世界に没頭していた。父の買う別冊宝島を読み漁っていたのもこの頃である。

漠然と憧れは抱いていた。ただ、何もないことを自覚していたからこそ、私は大学を選ぶ時も潰しの利く学問を選んだ。就職活動の時にも週刊プロレスがアルバイトしか募集していないことを知り、その方面の応募を一切やめた。

憧れではなく、夢に。夢ではなく、目標に。

30歳の頃、パワハラを忘れるために始めたブログは、予想以上の反響を集めた。自分が自分に一番驚いていた。夢を持たぬ子供だった私が、無限の可能性を自分に見ているのだ。

自分の知らない多くの方に楽しんでもらえている。自分の記事を誰より楽しんでいるのは、他でもなく自分だった。気がつくと、ブログ以上に何か出来ないものかと考えるようになっていた。

子供の頃はnumberという雑誌が憧れだった。
だが30歳を超えて、numberで書くことは夢になった。

静岡新聞の仕事を皮切りに、少しずつオファーが舞い込むようになった。地方紙も専門誌も、ラジオもテレビも経験した。だが、満たされない想いがどこかにあった。本丸に辿り着いていなかったからだ。そこには悔しさしかなかった。

思えばこの時、numberは憧れでも夢でもなく、目標になったのだと思う。

そして今回、私はnumber webからお声をかけていただいた。トークライブの相方、横尾誠氏の支援を受け、これまでのnumberには無い数字で見る大相撲の記事を書くことが出来た。ここまで来たかと感慨深いものがあるが、去来したのは満たされない想いだった。

そう。
まだ私は、雑誌の方のnumberには進出していないのだ。

機械音痴の父の目には、この記事はまだ届かない。
夢が現実になる中で、私には次の夢が、目標が出来た。

雑誌のnumberに進出した時、私は何を思うのだろうか。
今から楽しみである。

numberの記事はこちら

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