今場所が「史上最低の場所」である理由。

今場所が酷い言われようである。
見るべきポイントが無いとか、
低調であるとか、
史上最低の場所であるとか。
WBCの濃度が凄かった分だけ、私自身
相撲に対する熱が些か薄まっている認識は有る。
そうした外部的要因の影響は確かに否定できない。
だが、少し考えてほしいのが
何故このような評価を受けるに至っているのか、
ということである。
では、今場所で起きていることは何か。


白鵬が絶好調であること。
大関陣が軒並み成績が伸びないこと。
目を見張るような新鋭が居ないこと。
つまり、閉塞感なのである。
白鵬の強い相撲がつまらないわけではない。
素晴らしい相撲であることは重々承知している。
強い存在が強く在り続けるというのは、
その有難みを忘れることにも繋がる。
かつての巨人のV9時代というのはその典型である。
私達は当時の巨人を神格化しているキライが有るが、
その頃の視聴率を見ると、特に後半は
全盛期と比較するとかなり低迷しているのだ。
王・長嶋という戦後最大のスターを抱えていながらも、
誰もが彼らを愛していながらも、
強い日常というのは、楽しむことが出来ないのである。
傑出した存在が牛耳る日常というのは、
勝って当然、負けたらニュースという状態を意味する。
結果が分かっている競技を観ることは
果たして楽しいのだろうか?
玄人は技を楽しめるかもしれないが、
素人は結果を楽しむのである。
技の凄さは技に関する知識が無ければ
理解することが出来ない。
だが、結果というのは何も知らなくても
そこに価値を見出すことが出来る。
だが、結果がマンネリ化すると
その結果を楽しめなくなる。
そうすると、力士の過去の経緯からドラマ性や
人間的個性にフォーカスする必要が有るのだが
こうした部分にのめり込むだけの力士が稀勢の里くらいしか
存在しないというのが痛い。
日馬富士の行儀の悪さも朝青龍と比較しては
まだまだ小物だし、
白鵬の聖人的振る舞いは、ロールモデルとしては
優秀かもしれないが、行儀の良い人間は
結局退屈なのである。
勝っても負けても絵になった朝青龍は、
力士としても人間としても魅力的に映るのだろう。
白鵬に魅力が無いのではない。
単に朝青龍が分かりやすいだけなのだ。
結果で見せるにも、人間として見せるにも
どちらにしても足りないと言わざるを得ないのが現状である。
だが、盛り上がる準備は出来ている。
もう、ここ何年も。

今場所が「史上最低の場所」である理由。” に対して2件のコメントがあります。

  1. げんもん より:

    いつも楽しく読まさせていただいています。
    本当にそうですよね。
    土俵の充実が人気回復に繋がるとよく言いますが、素人にとって単純明快な事がわかりやすいですよね。
    大きな小錦、小さな舞の海、カッコいい貴乃花、ヒールの朝青龍は人気があったし相撲をしならい人でも名前を知っていたと思います。
    そもそも、一体『土俵の充実』って何なんでしょうね?

  2. mamoru より:

    確かに今場所の見どころを探すのは難しいですね。早くからこのような結果が予想できますし。しかしお客さんの入りは多いですね。満員御礼が続いていますし。どこを楽しみにしているのか聴いてみたいものです。

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