史上最強の大関は誰か?歴代大関ランキング 後編

前回から、歴代大関の中で史上最強は誰か?
というテーマを取り上げている。
■ランクC
・在籍場所が20場所以下且つ12勝以上の場所2回未満
■ランクB
・2年以内で12勝以上の場所を3回経験していない
・在籍場所が20場所以上もしくは12勝以上の経験あり
■ランクA
・2年以内で12勝以上の場所を3回経験している
C⇒B⇒Aの順で強さを判定しているのだが
前回はBランクの中での順位を付けたので、
今回はランクAに属している力士を対象とする。
この基準から傑出度(優勝争い)、持続力(在位場所数)、
安定感(2ケタ勝利)という論点を総合的に判断して
順位を決定する。
前回既に琴風、北天佑、貴ノ花という、
強い大関として語られることの多い力士が登場したわけだが、
今回は2年という短期間での傑出度を足切りの基準としたため
この3力士は選考から漏れてしまった。
だが、あくまでもこれは今回設けた一基準を用いての
評価であって、この見方が全てではないということは
この場を借りて強調しておきたい。
では、ランクAの中から、いよいよ1位を決定する。


第9位:北葉山
昭和30~40年代に活躍した大関。
大関昇進後はクンロクを繰り返し、
並以下の大関という状態だったのだが、
昭和38年7月の優勝から一変。
昭和38~39年に掛けて優勝争いに絡むこと4回。
3場所続けて終盤まで場所を盛り上げた大関は
この順位まではそう居ない。
ちなみに在位30場所というのも長期の部類である。
今回の基準の中では上記2年の傑出度を評価しての
9位ではあるが、貴乃花の在位場所数、
琴風のクンロクの少なさを上位に取る方が居ることは
重々承知している。
第8位:霧島
歴史に残る、スロー出世の大関。
ワンチャンスを利しての大関昇進と思いきや、
直後に素晴らしい成績を残し続ける。
優勝1回に、準優勝4回。
あの巴戦を覚えている方も多いことだろう。
昇進後の2年は優勝争いか、怪我による不調か。
いわゆる強い大関に要求される水準を満たす力士は
殆ど居ないのだが、この2年の霧島はそれすらも
上回っているのではないか?と思わされる。
だが、スロー出世であることと痩身でありながら
力相撲だったことが祟り、その後は怪我に泣かされて
16場所で陥落。
北葉山の持続力と霧島の傑出度・安定感を比較し、
クンロクが少なく優勝争いに絡んだ回数の多い霧島を
上位とする。
第7位:豊山
大関昇進時の3場所がなんと37勝8敗。
初土俵からおよそ2年で大関昇進を決めた怪物である。
昇進後初めての場所では負け越すも、
その後13勝、10勝、13勝は驚異的と言わざるを得ない。
2ケタとクンロクを繰り返した後、またしても13勝。
昇進時の勢いから期待は否応なしに膨らむが、
ここから緩やかに失速する。
2ケタとクンロクを行き来し、悪い意味で大関として
安定してしまう。
かつての勢いは失われるが、勝ち越しはきっちり拾う。
大関在位は34場所。早い引退だった。
昇進時の傑出度と34場所を務め上げた持続力を
考慮し、霧島より上位の7位としている。
第6位:若島津
若島津は昇進後が物凄い。
3場所目から 
13勝、11勝、13勝、11勝、11勝、14勝、9勝、
15勝、11勝、11勝、9勝、12勝、10勝。
この2年の成績は、横綱と見紛うばかりの凄まじさである。
これ以外に何を語れば良いのか。何も無い。
豊山の昇進後の勢いを2年持続したというだけで、
彼よりも上である。
在位28場所。上記の後は触れるまい。
第5位:栃東
関脇でコツコツ2ケタ勝利を続けて出世の機会を待ち、
満を持しての大関昇進。
昇進して初場所でいきなり優勝。
2ケタ勝利を2度記録したのち、故障。
彼の土俵人生は好成績と故障の繰り返しである。
11度の休場を挟み、常に満身創痍。
これほど怪我が癖になると、普通は
大関の地位を守ることに汲々とするものだが、
栃東の凄いところは故障しても衰えず
体調を戻すと直ぐに優勝争いに加わることにある。
3度の優勝、1度の準優勝。
12勝以上は5回。
12勝以上は若島津と同じ5回。
在籍場所数もほぼ同じ。
外国人が土俵を席巻しつつある中、
最後まで日本人最後の砦として
ファンの心の拠り所だったことを考慮し、5位とする。
第4位:千代大海
みんなのアイドル、千代大海。
組んだら序二段、略してクンジョニ。
ムーンウォークにCSP(千代大海スペシャル)。
何かとネタにされる機会の多い千代大海だが、
晩年の印象で彼の成績を見ると、
その優秀さに驚かされる。
昇進後3年間は怪我に悩まされるも出場すれば
安定して2ケタ勝利する。
ハイライトは平成14年から16年前半。
優勝2回に準優勝5回。
休場場所以外はほぼ全て2ケタ勝利という暴れぶり。
あの若島津の確変期と比較しても遜色ない活躍である。
以降は基本的にクンロク。
2ケタ勝つことも有るが、何とか勝ち越すという様子は
皆様ご存じのとおりである。
在位は史上最多の65場所。
怪我も有りながらのこの活躍。
千代大海は、もっと評価されていいと私は思う。
2年の傑出度は栃東・若島津と双璧、
ただし相撲史に残る在位65場所に敬意を払い、
千代大海を4位とした。
第3位:貴ノ浪
脇の甘い貴ノ浪。
懐の深い貴ノ浪。
脇が甘いと評するときは、彼の相撲を改善したいとき。
懐が深いと評するときは、個性派として認識したとき。
成績の推移をみると、優勝争いに加わる周期と
クンロクの周期を繰り返している。
そもそも優勝争いに加わるのは相撲人生の中でも
1度か、多くて2度。
貴ノ浪の凄さは、脇の甘さの是正に失敗した後で
開き直って元の相撲に戻ると、好成績を挙げることに有る。
12勝以上は、大関在位中10回は最多タイ。
2優勝、7準優勝は、栃東・千代大海を上回る。
一度の陥落から再度復帰し、結局37場所を務めた。
ただ、同時期に若乃花・貴乃花に加えて
貴闘力・安芸乃島・三杉里などと同じ二子山部屋に所属し
強豪力士との直接対決が少なかった点を考慮し、
3位とした。
第2位:小錦
黒船・小錦。
印象とは異なり、実は32勝前後を挙げながら2度
昇進を見送られており、この間にかの有名な
北尾のサバ折りで膝を破壊されている。
この影響から、大関昇進時には既に膝が
踏ん張りが利かない関係から、左右の揺さぶりで
土俵に落ちる取組が多く、星が伸びないことが多くなっていた。
昇進直後は2度12勝以上を挙げたが、基本的に星が伸びず、
彼の本領は昇進から3年が経過した平成元年まで待つことになる。
平成元年11月場所での初優勝から、平成4年の3月場所までの間に
優勝3回、準優勝3回。
この時横綱昇進が見送られ、これまた有名な
人種差別発言が取り沙汰される。(当然、誤訳である)
横綱推挙されるほどの実力と実績を兼ね備えた小錦。
12勝以上は10回。在位39場所。貴ノ浪との比較は難しいが、
前述の通り貴ノ浪は二子山部屋だったことを考慮し、
小錦を2位とした。
第1位:魁皇
大関在籍場所が史上1位で、強さの持続性が際立っていること。
12勝以上を9回経験しており、優秀な成績も数多く挙げている。
優勝4回、準優勝7回は大関の中では圧倒的。
更に、全盛期(大関6年目)までは安定感も非常に高く、
9勝以下の場所が小錦・貴ノ浪が2年平均5回を上回っているのに対し、
魁皇は3回以内である。
「クンロク」は大関の評判を落とす大きな要因になるため、
この回数が少ないことは、彼の強さを語る上で何よりも大きい。
直接的な強さとはベクトルが異なるが、彼の場合は
人間性も高く評価されている。
特に大関在籍時に八百長問題やかわいがり問題、
加えて野球賭博など、モラルが問われた時期に
規範となる存在だったことは相撲界にとってこの上無く
有り難かったに違いない。
持続力、傑出度に加えて場所ごとの安定感も兼ね備えた魁皇を
史上最強大関とする。
以上です。
3ランクのカテゴリ分けについては色々あると思いますが、
今回の方法ではこのような評価に成りました。
要素をポイント化し、再度検証してみようかとも思います。
どうもありがとうございました。

史上最強の大関は誰か?歴代大関ランキング 後編” に対して5件のコメントがあります。

  1. 東風コチ太郎 より:

    >特に大関在籍時に八百長問題やかわいがり問題、加えて野球賭博など、モラルが問われた時期に『規範となる存在だったこと』は相撲界にとってこの上無く有り難かったに違いない。
    魁皇が八百長と無縁だったと思ってるの?まさかね。ガチンコ力士の「魁傑」の間違いじゃないよね。
    まぁ、「臭い物には蓋」ということで、八百長には目をつぶるというなら、なんにも言うことはないけれども。見方が表面的すぎるよね。

  2. kenjiysd より:

    魁皇関、大好きでした!
    浅香山親方になられた今も、です!

  3. 魁皇は優勝5回ですよ より:

    魁皇は優勝5回ですよ

  4. タル より:

    興味深く読んでます( ´ ▽ ` )ノ
    千代大海が上位で嬉しかった( ̄▽ ̄)
    短命横綱の中には、大関としては良かったのになぁ、って力士もちらほらいるので、その辺りも含めるとまた波乱がありそうですね。
    「日馬富士の師匠」「お兄ちゃん」あたりは大関にとどまっていればそこそこ長く在位したと思うので。
    日馬富士がそうならない事を祈りつつ、魁皇最強説に賛成票です。

  5. Nihiljapk より:

    >タルさん
    コメントありがとうございます!
    千代大海はネタ力士として語られることが多くて、
    実力については正しく評価される機会が無かったんですよねw
    それほど際立ったキャラクターの持ち主だったということで、
    有る意味名誉なことではないかと思います。
    コメントいただいた後で、北尾の横綱時代を見てみたら
    12勝が2場所、13勝が1場所有って、意外と悪くないんです。
    途中休場が2場所有って、ダメ横綱視されてしまったのが
    痛いのですが、これって大関なら十分優秀なんですよね。
    私達は地位で力士を判断しているってことを再認識しました。
    次回は…どういう企画を組もうやらw

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)