普通の能力しか持たない人と幕下相撲。

外国人。
中卒・高卒エリート。
大卒エリート。
元関取。
誰もが特別な能力を持ち、
能力が花開く前だったり全盛期から衰えたりする中で
特別な能力を現段階の実力に見合った形で出している。
だからこそ未完成なスケール感や
落ちた者の哀愁と落ちたからこその凄味を
逆に感じることになる。
だが、最後に紹介するのはそういう
特別なものを持ちえない者の話である。


身体能力も普通。
いや、体育の成績では3などが付けられる程度の
どこにでも居る存在。
だから幼少の頃から突出した結果を残せず、
最終的に自分を信じるために不可欠な
根拠なき自信が養われることは無い。
自分と同じ程度の普通の人に敗れる。
才能に出会い、圧倒的現実を目の当たりにする。
そう。
彼らの歴史は敗北の歴史である。
相撲取りになっても明るい未来が見えるわけではない。
自分の限界は自分がよく知っている。
「諦めない」とか「夢は十両」とか口では言うかもしれないが
そんなことは腹の底から思える訳が無い。
何故なら、未来を見るには根拠が無さ過ぎるからだ。
だが、彼らは相撲を続けて、
長い年月を掛けて幕下に在籍している。
つまり、彼らにとって幕下とは
登り詰めた晴れ舞台なのである。
ここまで壮絶な努力があったことだろう。
陰湿な苛めにも耐えてきたことだろう。
そういう体験から生まれる技は
彼らにしか出せない。
エリートが長所を活かして繰り出す
絶対的な優位性とは異なり、
研究に研究を重ねた賜物。
晴れ舞台たる幕下で、半人前でありながら
人生で一番の輝きを見せる。
輝きの照度はエリートと比べると鈍いものかもしれない。
だが、それは彼らが一生を賭けて辿り着いた
未踏の地なのである。
未完成のエリートや堕ちたエリートには出せない
誠実な強さが、持たざる者には有る。
そんな尊さが見られるのもまた、幕下なのである。

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