空席が目立つ九州場所。神奈川県民として寂しさの中に感じる、羨ましさの正体とは?

2大関の休場で始まった九州場所。
稀勢の里も鶴竜も土がつき、
三役の力士もエンジンが掛からない。
大関獲りが懸かる豪栄道と復活を期す日馬富士は
今のところ順調なのだが、
足が滑る、怪我が多いなど、少しネガティブな印象を
抱きやすい状態であることは否めない。
そして、その空気を作っているのが、空席が多いこと。
空席というのは怖いもので、ただ席が空いているという
印象を抱くだけでなく、心理的にもどこか寂しさを
覚えるようなマジックが有る。
歓声がまばらだと、不入りであることが頭の片隅に有るので
見ている者も競技にのめり込めなくなる。
楽しい空気というのは観客一人一人の熱気によって醸成される。
だが、この熱量が上がらないのだ。
土俵の充実によってこの温度を上げていかなければならないのだが、
悲しいことにこの熱気というのは力士だけでは
生み出すことが出来ないものである。
スポーツというのは総合芸術ではないかと思うことが有る。


選手がいる。
観客がいる。
競技場が有る。
町が有る。
そして、文化が作られる。
スポーツだけではこの空間は成立しない。
皆が競技を想い、競技を楽しむ。
競技を楽しめるムードを周辺の雰囲気が醸成する。
例えば旅行をするにしても、空港に近づくだけで
旅のムードが高まったり、
映画館でふっと暗闇に成った後でノーモア映画泥棒の
CMを見ているだけでテンションが上がってきたり。
これは決してスポーツ観戦だけに特定されることではない。
だから、この楽しい相撲という競技が、
観客が少ないという理由で集中できなくなるのは
本当に勿体ないことなのだと私は思う。
反面で、実は私にはこの状況が羨ましいと思うことが有る。
それは何故か。
国技館だと、これほど手軽にチケットが入手できないのだ。
平日ならまだしも、初日や中日、千秋楽といった
週末帯のチケットは、前もって休みを合わせなければ
升席での観戦は難しい。
国技館に於ける相撲観戦というのは、最近の人気回復に伴い
少し前ほど気軽に足を運べるものではなくなっている。
地鳴りのような歓声や、誰もが固唾を飲む異様さは
何にも代え難い財産であることは間違いないのだが、
社会人に成ると時間の調整は困難を極める。
ちなみに私が九州場所を観に行くことを見送ったのは、
休みの調整に失敗したことが原因である。
これほど気軽に足を運べる場所は、九州場所を置いて他にない。
寂しいことでもあるのだが、これは相撲ファンからすれば
選ばれし特権なのだ。
悪いことというのは、必ずしも悪いだけではない。
プラス思考というのは、マイナスに考えているからこそ
無理やりプラスに考えようと試みることでもある。
観客が少ないことに向き合いながら、
そのメリットを最大限に活用する。
それもまた、九州場所の楽しみ方ではないだろうか。
◇特報◇
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