【番外編】高校相撲の魅力。

少し前の話だが、
高校総体相撲の部をNHKでテレビ中継していた。
確かに相撲は好きで、父に見せられて
四半世紀見続けているのだが、
アマチュア相撲となるとあまり知識もなければ
プロとの違いも今一つ判らない。
うちの地元の工業高校が
臨時で相撲部を結成して、んで
全国大会に出た、というローカルな話くらいしか
記憶にないので、未来の関取、
未来の幕下力士を青田買いすべく
1時間正座してその様子を見届けた。
…驚いた。
とにかく驚かされたのである。


まず、目に付いたのは、
行司が行司でないということである。
確かに何となくいわゆる行司の格好をしていない
というレベルでの認識はしていたのだが、
シャツにパンツ、そして何と
蝶ネクタイという
帰国時の本田圭佑ばりの出で立ちなのである。
なぜ相撲を裁く人間が
胸元に蝶を飼っているのか全く不明で、
「相撲を洋装の人間が裁いたらおもろいやん」
みたいな、かつての「ごっつええ感じ」みたいなノリで
この世界が形成されているかのような
壮大な違和感がいきなり目に付くのである。
女を土俵に上げる・上げないなんていう議論を
内舘牧子が以前していたことがあるが、
これって実はそんな次元の話ではなくて
文化的にもそれはまずいというレベルなんじゃなかろうか
と思いつつも、そこに誰も突っ込まないし、
日常の光景として根付いてしまっている雰囲気が
既にあることがそもそものカルチャーショックであった。
神事だからこそ、それを裁くのは
日本のトラディショナルな出で立ちというのは
非常に納得がいく。
そう。
これは葬式にTシャツにハープパンツの坊さんが
現れるようなものである。
そこで私は何故彼らはこのような格好をしており、
それが認められているかを調べてみた。
そこで私は衝撃的な事実を目の当たりにした。
彼らは行司なのではない。
つまり、主審なのだという。
これは単なる言葉遊びではない。
行司は神事としての相撲を裁くために威厳を持ち、
烏帽子や軍配などという伝統を継承するスタイルなのだが、
審判となるとそこに神事は介在しない。
そう。
アマチュア相撲とは、単なる競技なのである。
つまり、アマチュア相撲とはオリンピック競技に
なるためにポイント制を導入した柔道と
同列に扱われるべき存在ということだ。
これについては賛否両論あるところで、
もはや伝統的に行われてきた柔道ではなく
JUDOであると否定のニュアンスの極めて強い
分析をされるケースが非常に強いわけだが、
では相撲の場合はどうなのか?
続く。

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