「心の番付」を高めることの意味。吐合さんと式秀親方が教えてくれたこの言葉から、デーモン閣下の発言を振り返る。前編

先日デーモン閣下のサンデースポーツ出演時のことを記事にした際に、
過去最大級と言えるほどの反響を頂いた。
相撲が好きな方も、デーモン閣下が好きな方も、
そしてどちらもそこまで興味が無い方ですら見てくださった。
これは管理人としては非常に嬉しいことだ。
しかしこれだけ大きな反応が有ったのには二つの理由が有ると考えている。
デーモン閣下の相撲に対する姿勢の素晴らしさと、白鵬に対する危惧だ。
前者については記事の中で閣下の完璧な対応について言及したが、問題は後者である。
土俵態度について語ると、外国人を受け入れている以上
それは仕方が無いことだと仰られる方も居る。
時代と共に変化していくことなので、
品格や土俵態度という論点で語ることがナンセンスだという指摘である。
そのように感じられることは否定しない。
それ自体がナンセンスというよりは、したり顔で大横綱を相手に
物申すことに対して苛立ちを覚えているような口調が多い。
無論、横綱と対等、もしくは上の立場から意見するような精神性で
批判している人が居ることも事実だ。
そういう精神性からの批判はすぐに分かるので、この指摘は的を射ていると言える。
だが私が強く言いたいのは、相撲とはただのスポーツではないということ。
そして、ただ強いだけでは、力士は務まらないということなのである。
この想いを強くしたエピソードを紹介したい。
あれは、今年の5月場所のことだ。
2時半頃、国技館の出入口に私はとある力士と居た。
その力士の名を、吐合という。
そう。
このブログを書くきっかけとなった力士である。
2004年に偶然見ていた、全日本アマチュア相撲選手権。
準々決勝に残っていた学生横綱の吐合は、高校横綱の澤井と対戦した。
珍名 VS 超新星 の実力者同士の対決。
この構図が余りに面白かった。
そして結果は、澤井の圧勝。
お分かりの方も多いと思うが、この澤井というのは
先日大関に昇進した豪栄道のことである。
最初私は吐合を見て笑っていた。
珍名で、しかもチャンピオン同士の闘いで4年後輩に完敗したのだから。
その名のインパクトを残して、放送は終わった。
数年後。
相撲を殆ど見ていなかった私がまたしても偶然BSで相撲を観た時のこと。
あの吐合が、幕下で相撲を取っていたのだ。
元学生横綱が、関取に成れずにもがき苦しんでいる。
しかも聞けば、両膝の怪我で番付外まで落ちたのだという。
身体も幾分か細くなったように見える。
特に足が細い。そして白い。
上手さを見せて勝つことも有るが、突き押しが身上の吐合は
土俵際まで攻めても体が無いので逆転を喰らうことが有る。
更に、相手の攻めを受けてしまうと体の特性からか
逆転で勝ちをもぎ取るケースも少ない。
大きく勝ち越せないが、大きく負け越しもしない。
幕下上位から中位で一進一退を繰り返し、数年が経過した。
私は彼を、もう笑うことは無かった。
それ以来、思い出したように幕下から相撲を観るようになった。
そして、給料10万と100万の狭間で自分の全てを賭けて闘う
幕下相撲だけが持つ面白さに気づき、ブログ開設に至った。
こうした理由から私は吐合を追い続け、普段の感謝の意を表すために
勇気を振り絞って話し掛けた。
この日、二人で話していたのはこうした経緯からだったのである。
そして二人で話していると、向こうから一際大きな方が
吐合さんに話し掛けた。
元北桜の式秀親方である。
元々北の湖部屋で先輩後輩の関係である2人は、
非常に親しいようで、会話が弾む。
そして、私が吐合さんの応援ブログを書いていることを知ると、
非常に興味深いことを教えてくれた。
続く。
◇お知らせ◇
幕下相撲の知られざる世界のFacebookページはこちら。
限定情報も配信しています。

「心の番付」を高めることの意味。吐合さんと式秀親方が教えてくれたこの言葉から、デーモン閣下の発言を振り返る。前編” に対して2件のコメントがあります。

  1. 臼田丈晴 より:

    いつも楽しく拝読しております。こんな続きが気になる事この上ないっすよ!しかし式秀親方のファンサービスは素晴らしい!数年前の名古屋場所。観客数が激減した館内で実直に来場した子供たちに飴を配っていたり、つい先日も快く記念写真に応じたりと、親方が出来得る限り心を尽くされている姿がみられました。生の相撲を観て感動すると同時に親方のような人たちと直に触れられる本場所は本当にイイなぁと思った次第です。明日を楽しみにしております!

  2. まけぼの 次郎 より:

    >相撲とはただのスポーツではないということ。そして、ただ強いだけでは、力士は務まらないということなのである。
    ・・・
    コレ、コアなファンにありがちな「思い上がり」です。
    こういう類の「神がかった思い上がり」をしている者が時々力士にもいます。この者が自分は別格だと勘違いして、格闘技の世界にいって、コテンパンに叩きのめされ、大相撲の歴史に泥を塗ってしまうというわけです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)