蒙古襲来。逸ノ城は大相撲を破壊する革命者なのか。栃煌山と松鳳山を止めた理不尽な強さが齎す、畏怖の念とは?

照ノ富士が上位でインパクトを残す中、
幕内中位では連日我々に新鮮な驚きを与える存在が居る。
逸ノ城だ。
昨年のアマチュア横綱は、今年の力士名鑑が発売された当初は
丸坊主が初々しかった。
部屋頭が三段目の湊部屋を選んだことを不安視する声が挙がる中
幕下、十両を通過し、9月場所は新入幕を果たした。
体格にモノを言わせて組み止める。
組み止めたら後は為すがまま。
身体の自由を奪った逸ノ城が徐々に土俵際に運び、勝負が決する。
このような取口は一体どこまで通用するのか。
いや、彼が逸材であることは分かっているが、
この相撲が通じてしまったら他の力士の努力はどうなってしまうのか。
幕内の力士の相撲は、それぞれが試行錯誤の末に行き着いた、
一つの工芸品のようなものである。
始めてしばらくは天狗だった力士達が、
途中で思い通りに行かず、甘くない事に気付き、
相撲を見直し、自分を見直し、行き着いた先なのだ。
そこには力士一人一人の人生が有り、
だからこそ重みが有る。
我々は彼らの相撲に感じるところが有るのは
その苦悩の歴史を知っているからだ。
ルーキーの登場がセンセーショナルなのは、
そういう力士達を独自の武器で打倒するからである。
そしてその武器と言うのが、新しいアイデアであり
新しい気持ちの強さであり、新しい潜在能力だからだ。
逸ノ城は、栃煌山を止めた。
そして、松鳳山を止めた。
その結果は衝撃的だった。
そして、直感的に思った。
これでいいのだろうか?と。
ただ大きいだけの力士が、栃煌山と松鳳山を止められないことは知っている。
異国の地で高校生活を耐え、更に大相撲入りが1年遅れたことによる
不安と焦りの大きさも想像出来る。
逸材だということも分かる。
苦労に対してシンパシーも覚える。
それでも、遠藤や大砂嵐が上位をかき回した時の
ワクワク感は今の逸ノ城には感じない。
むしろ今去来しているのは、脅威だけである。
今までは旧世代を打倒することを歓迎していたのに、
今回については彼らのこれまでを否定されたような、
そういう得体の知れない感情を抱いている。
それが通じたら反則だよ。
デカけりゃいいんじゃん。
何故か文句を言いたくなる。
そうなのだ。
逸ノ城は理不尽なまでに強いのだ。
その強さを歓迎できないのは何故か。
恐らく今までに遭遇したことの無い強さだからだろう。
私は今まで自分が培ってきた価値観を破壊されることを恐れている。
その価値観というのが、相撲の美である。
相撲の美を司ってきた旧世代の討死ぶりは
変化を望んでいた私に畏怖の念を与え、
気が付けば私は旧世代の美に想いを馳せている。
こんなことは、今までなかった。
逸ノ城は、革命者だ。
この種の革命は、私の記憶の中では一つしか記憶が無い。
そう。
小錦登場時の「黒船襲来」である。
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