相手の実力を引き出す愚直さの持つ魅力と、危うさ。足りないものをファンが補完する稀勢の里は、広義の意味でアイドルである。

久しぶりに稀勢の里のことを振り返ろうと思う。
昨年の5月場所での白鵬との全勝対決から綱取りに対する期待感が高まり、
2度のチャンスをモノに出来ない間に鶴竜が昇進してしまった。
怪我に悩まされ、今年4場所で2桁勝利が1度だけという
当初の期待を考えると寂しいと言わざるを得ない状況が続いている。
気が付けば照ノ富士も逸ノ城も、更には大砂嵐も遠藤も
新時代の扉をこじ開けようとしている。
28歳の稀勢の里は、もう若くはない。
稀勢の里に力を与えてきた時の流れは、
今逆風となって手負いの大関に牙を剥きつつある。
しかし、実力的には一級品なので好調であれば
優勝争いの中心に来るだけの力士ではある。
それは5月場所のパフォーマンスを思えば、
稀勢の里を嫌いだという人でも納得せざるを得ないところだろう。
千代大龍や日馬富士といったかつての苦手を克服し
期待値よりは遅いながらも着実に成長を遂げていることも、
稀勢の里を語る上で欠かせない特徴の一つだ。
そして、ウィークポイントの修正というのは
スタイルが出来上がった後では中々難しい。
スタイルを確立すればそこに弱点が生まれることも多いからだ。
ただ、稀勢の里にはどうしても触れておくべき
ウィークポイントが有る。
そう。
取りこぼしの多さである。
よく稀勢の里を語る上で、取りこぼしの多さから派生して
メンタルの弱さに言及する方が多い。
期待していた結果が得られない時、人はそこに原因を見出したくなる。
確かにそういう部分を見せることも有ると思う。
明らかに立ち合いを失敗することも、
戦略を誤ることも、稀勢の里については1場所に1度は有るからだ。
そしてその原因は、振る舞いを観る限りではメンタルと言いたくなる気持ちも分かる。
ただ、考えてほしい。
実は綱取り場所での格下相手の取りこぼしは、
半数以上の力士が経験していることである。
例えば朝青龍は平幕の海鵬に敗れている。
武蔵丸も平幕の旭鷲山と千代天山にやらかしている。
若乃花は小城錦と琴錦相手に敗れているし、
曙だって若花田と栃乃和歌に不覚を取っている。
最近で言えば鶴竜も初日に黒星がついている。
まだ続けようか。
旭富士は両国、大乃国は前乃臻、千代の富士は隆の里、
三重ノ海は栃赤城を相手にやらかしている。
そう。
やらかすことは、誰だって有るのだ。
誰だって、メンタルの弱さを見せることは有るのだ。
むしろ気になるのは、稀勢の里に対して
期待の裏返しでネガティブな空気を
作り過ぎていることではないかと私は思う。
この手の期待を受けると、上手い人であれば
狡く掻い潜ることも出来る。
例えば立ち合いで変化したり、場外戦術に出たり。
だが稀勢の里には逃げるという選択肢が無い。
全てを正面から受け止めるから、
格下の力士も自分の全てを出しに来る。
考えてほしい。
碧山も、照ノ富士も、
今場所一番の取組は誰が相手だっただろうか。
嘉風が多くの人の支持を集めるきっかけになった一番の
相手は一体誰だっただろうか。
これは、偶然ではない。
相手が全力を出せるだけの実力者であることは間違いない。
だが、反面で読みやすい相手であるとも言える。
ある程度のスパンで変化する力士も、一定の割合で存在する。
それは変化をすることによって、相手に変化も
選択肢の一つとして刷り込むメリットが有るからだ。
1年に一度、数年に一度しか来ないファンが大勢いることは事実だ。
そうした方達を確実に落胆させる戦術であることは間違いない。
勿論、私は稀勢の里に変化を勧めているわけではない。
ただ、稀勢の里の対戦相手はかなりの確率で
素晴らしい相撲を取ることは事実であり、
何か手を打たねばならないとは思っている。
相撲というのは、15日間連続で取れば
毎回自分が優位に進められるわけではない。
むしろ不利になった時にどのように対処するか、
それが星を伸ばせる力士とそうでない力士を大きく分けることになる。
稀勢の里は自滅もさることながら、
相手が上手く取ったという形での敗戦が多い力士である。
相手の100%を上回る取組を見せられるのも、
稀勢の里の大きな魅力である。
だが彼の素直すぎる、愚直すぎる取口が名勝負を生み出し、
名勝負に殉じていくのだとすれば、こんなに皮肉なことは無い。
白鵬の取組は序盤戦の多くの取組に於いて
相手の自滅で勝負が決している。
相対的に危険な取組の機会が少ないことこそ、
白鵬の強さではないかと思う。
土俵に立つ前から、白鵬は白鵬で居るだけで
相手は畏怖し、考え、自分の形を崩す。見失う。
だから、白鵬の取組はエンターテイメントという観点で見ると
あっさり終わることも多い。
だが、スリルとサスペンスの要素が無いことこそ、
横綱に求められる強さではないだろうか。
千代の富士も、貴乃花も、白鵬も、
強過ぎてつまらないという声が挙がる。
強さとエンターテイメントを両立する朝青龍が異色なのだ。
稀勢の里に必要なのは、良くも悪くも狡さだと思う。
しかし、狡さを身に付けた時、稀勢の里は愛すべき稀勢の里ではなくなる。
こういう稀勢の里だからこそ、後押ししたくなるのだ。
愛すべき存在であり、しかしながら欠落した部分が有る。
周りが応援することで足りない部分を補完していく存在。
ライムスター宇多丸はそんな存在のことを、アイドルと定義している。
そう。
稀勢の里は永遠のアイドルなのだ。
◇お知らせ◇
幕下相撲の知られざる世界のFacebookページはこちら。
限定情報も配信しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)