豪栄道の千秋楽での勝ち越しを、どのように捉えるべきか。判断材料としての「信頼関係」の重要性を考える。

豪栄道が、大関に踏み止まった。
7敗を喫し、もはや風前の灯と見受けられた大関の座。
判断のタイミングがワンテンポ遅れるために
攻勢でも肝心なところで反撃を受ける。
そしてその反撃で体勢どころか心まで崩し、窮地に陥る豪栄道。
普段勝てていた相撲が一転して負け相撲になる。
このような豪栄道は、今までに記憶が無い。
だが、一転して豪栄道はこの3日で連勝した。
遠藤、碧山、そして琴奨菊を破ったのである。
どうにか最悪の事態を避けることになった。
そしてこの結果こそが、議論を呼んでいる。
この残留について、批判的な見解の方も存在するのだ。
不振だった大関が巻き返せば、様々な捉え方が出来る。
そのように考える人が居ても私は否定しない。
いや、そのように解釈する人が居ても、ということである。
翻って私は、今回の結果についてどのように受け止めたか。
一言で表すと「良かったね」ということだった。
さて、この差は一体どこから生まれるのだろうか。
つまり、信頼関係なのだと思う。
私は、豪栄道が大関昇進を逃した経緯も知っている。
そして、ラストチャンスとも思える
機会を掴んだことも知っている。
過去に苦労した分だけ、そしてその苦労を
嫌というほど共有してきた分だけ、
苦しみの末に何とか残留したことについて
好意的な見方をするに至った。
私にはここ数年の豪栄道との歴史が有り、
そのことを考えて良い結果を期待した。
そして、望んだ結果が得られた。
だからこそ、「良かったね」だったのである。
どのような取組も、我々では真相を知ることは出来ない。
背景や人物関係から、我々は状況証拠を線で捉えて
様々なことを推測する。
となると、あらゆる推測が可能だ。
例えば、3月場所に於けるとある「異変」についても
今回と似たような推測する方も存在する。
これもまた、致し方ないことだ。
我々は力士との信頼関係を元にして相撲を観ている。
その力士の生き方や土俵態度、あとオフショットを元に
信頼に足る力士なのか否かを見定めている。
土俵の上では全てが見える。
闘う気持ちも、逃げる気持ちも。
そして努力の跡も、進歩の無さも。
そういう一つ一つを、相撲の素人達は注目している。
先程も述べたが取組結果の解釈は、我々次第だ。
そして様々な推測が有っても、好意的に受け止めるか
批判的に受け止めるかは力士と我々の信頼関係に依る。
今回私は「良かったね」という見解だったが、今後は分からない。
大関としての立場の苦しさ故に良い結果を望んだが、
このような結果が続いた時、恐らく私は異なる見解を示すことになる。
考えてみると、相撲と世間との信頼関係が崩れたのが数年前だった。
何をやっても批判をされる。
何が有っても批判的に解釈される。
そこに至るまで様々な出来事が有った。
全てが否定的な出来事だった。
そして大相撲が新たなブームを形成した今、
相撲自体が当時と比べると好意的に受け止められている。
だからこそ、今回の取組結果についても
大きな問題として解釈されてはいない。
豪栄道の相撲と態度を、我々は固唾を飲んで見ている。
好意的な解釈が続くことを、切に願う。
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豪栄道の千秋楽での勝ち越しを、どのように捉えるべきか。判断材料としての「信頼関係」の重要性を考える。” に対して1件のコメントがあります。

  1. sunbear より:

     いつも興味深く拝見しております。
     今回の豪栄道の記事には頷くばかりでした。去年の対白鵬戦の豪栄道は自信満ち足りた取り組みで、久々の日本出身力士!幕内優勝は……稀勢の里ではなく豪栄道か…と思ったものです。しかし何がきっかけであの様な自信のない取り組みになってしまったのか。後がなくなった遠藤戦の取り組み前、土俵下で待つ豪栄道が天を見詰め深い深い息を吐いた姿は心情計り知れないものがありました。それでも信じて止まないのは大関昇進の際、[精神力の強い力士を目指したい]という言葉が耳に残っていたからです。そして、この記事を読むまでモヤモヤしていた気持ちがハッキリしました。【信頼感】が私と豪栄道の間にもあること。絶対に来場所の大阪には大関で凱旋するんだ!という思いがTV画面を通して伝わってきました。この苦境を乗り越えた豪栄道を信頼して来場所の奮起を期待します!長文失礼しました(..)

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