審判部を批判した白鵬は早急に謝罪すべきである。謝罪が白鵬だけに認められた、唯一の解決策である理由とは?

白鵬の発言が物議を醸している。
初場所の稀勢の里戦での物言いに対して、
審判団の決定を批判しているのである。
気持ちは分からなくもない。
白鵬が果たした偉業は素晴らしい。
33回目の優勝はその最たるものだ。
だが、そんな白鵬の偉業に対するファンの評価は
低すぎるのではないかと思う時が有る。
それだけではない。
むしろ白鵬に対して失礼な行為をしていると思う時も有る。
どれだけ優勝を重ねても、声援は対戦相手のものばかり。
白鵬という声は、取組前には掛からない。
それどころか、相手力士のコールすら起きる。
その上、日本人横綱待望論は相変わらず絶えない。
相撲界が一番厳しい時代を支えたのは
モンゴル人の自分で有るにもかかわらず、だ。
圧倒的すぎる存在、偉大過ぎる存在に対して
正当な評価が為されないのは、
観ている側が前人未到の偉業に対して
かつてとの比較がしづらいからではないかと思う。
例えば大鵬という力士が過去に存在したわけだが、
32回という優勝の偉大さは当時では理解できなかった。
北の湖が24回、千代の富士が31回、つまり
後年それに並ぶ可能性が有る偉大な存在が出現して初めて
我々は凄さを実感できるのである。
白鵬を評価する物差しが存在しない今、
我々はその強さを称える前に、周囲の力士の奮起を期待したり、
彼らの不甲斐なさという部分につい目を向けてしまうのである。
だが、だからと言って今回の発言が正当化されて良いと
私は全く思わない。
人とは異なる物差しでしか測ることが出来ない
圧倒的な存在ではあるが、
我々は白鵬を捉える物差しを持ち得ていない。
今我々が横綱としての白鵬を捉える物差しは、
つまり過去の横綱に対するそれである。
我々は過去の横綱の言動やその強さから
「横綱とはかくあるべき」という横綱像を持っている。
それは人によって異なるが、言動という部分に関しては
誰もが納得するシンプルな基準が存在する。
そう。
100人中100人が納得する発言をすることである。
横綱というのは偉大な存在なので、
偉大な存在としてふさわしい言動をせねばならない。
だからと言って、これに関しては難しいことは一切無い。
素晴らしい発言をする必要は無い。
ただ、余計なことさえ言わなければ良いのである。
我々は、白鵬を愛している。
だがそれは、土俵を守り続けてきた頃の白鵬である。
その頃の白鵬は相撲の素晴らしさを世に伝える、
誰が見ても横綱と認める素晴らしい力士だった。
だが、その頃の白鵬と今の白鵬は異なる。
本人は同じだと主張するかもしれないが、
当時の白鵬にこんな発言は無かった。
もし同じことを当時発言していたとしたら、
それこそまた失言としてニュース報道されていたことだろう。
そして、マスコミによって袋叩きにされていただろう。
あの朝青龍と同じように。
私は強さに拘り、批判を覚悟で勝利に邁進する白鵬は好きだ。
あの頃必死で相撲を守り続けてきた時とは異なる
生身の人間としての顔が見えるからだ。
だが、当時の白鵬を思い描く人々にとって、
今の白鵬の姿をイコールでは結び付けられない。
だからこそ今回の発言に戸惑い、批判しているのである。
つまり審判団の批判は、土俵を守り続けてきた白鵬には
似合わない発言ということだ。
だが、今回の問題について解決策が有る。
今すぐ謝罪することである。
頭に来ていて、つい言ってしまった。
冷静さを失っていた。
申し訳ありませんでした。
この大横綱にそう言われたら、私は納得する。
何故なら、今まで白鵬は土俵を守り続けるという
全く別の人格を強いられ、つい本音をこぼしてしまった
という理解をするからだ。
あの白鵬だって怒ることは有る。
つい言ってしまったのだ。
謝る器量が有るのだから、それでいいじゃないか。
私ならそう片付けるだろう。
むしろ、そうした白鵬の人間味に対して
親しみを覚えることだと思う。
白鵬は、今回のことがちょっとした失言で済ませられるだけの存在だ。
後で振り返った時に笑って済ませられる話だと思う。
その程度のことなのだ。
だがそれは、早急に謝罪した時の話である。
もしこのままだとしたら、昨今の土俵態度と絡めて
白鵬を批判する人は更にその声を強めることだろう。
もう一つ面倒なことは、白鵬ファンの中には
今回のことすら支持してしまい、正しいことの物差しを
完全に失ってしまう方が出てしまうことである。
良いことは良い。
悪いことは悪い。
そうした単純なことをファンも理解するために
早く白鵬にはこの問題を何とか解決してほしい。
本来大いに拗れる問題すら簡単に解決できる白鵬は、
やはり偉大な存在なのだから。
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審判部を批判した白鵬は早急に謝罪すべきである。謝罪が白鵬だけに認められた、唯一の解決策である理由とは?” に対して3件のコメントがあります。

  1. ohsuuironairo より:

    今回の一番とは比べ物にならないほど明白な《誤審》で、連勝をストップされた大鵬が、どのような態度をとったか。白鵬には、それをよく考えてほしいと思います。

  2. tomo1230 より:

    ビデオ係の錣山親方も言っていますが、コマ送りでみると白鵬の足の甲がかえっていて土俵についています。「足の甲」が土俵につくと負けですから、微妙な相撲の際によくみられるところです。
    その時点で稀勢の里は土俵に残っているので本来は白鵬の負けといってもおかしくない相撲です。録画している方は白鵬の右足の甲に注目してください。

  3. matuyuki より:

    墓穴を掘りましたね。自分の傲慢さから。
    実力は下降しているとは思えないので、苛立つ理由はないはず。
    ただ、素直に確かに感じているのでしょう、焦りを。
    自分の体の体力が頂点を過ぎた事、大相撲人気の復活と共に断トツ一位の白鵬人気が落ちた事(下降の一途でもある)が、理解できないのではないでしょうか。
    この原因は、単純なものなのに。
    大相撲が好きも嫌いも、日本人のほとんどが白鵬を尊敬し感謝し好意を持っています。
    既に歴史を作った大横綱だから、コールのあれこれが相手に行くのは当然でしょう。絶対的存在の猛者を応援せずともいいわけです。
    そんな単純な心理が理解できないとは。
    審判批判も大失態。過去には本当の誤審で涙を呑んだ一番は結構有ります、それでも一度決まった審判は絶対なのが、大相撲。
    それをべらべらと会見でおしゃべりするとは、横綱に在らず。
    こうなると、数々のこれまでのファンの間にくすぶっていた不満が吐き出されること必至。
    ●今回の千秋楽の遅刻劇、ここをまず誤らずして、何を物申すのか!!!
    あなたのせいで、物言いの一番が台無しになってしまったのに。
    碧山に土下座したらどうですか。
    傲慢にも程があるとは、いったい、どうしたことでしょう。
    ついでに言わせて頂きます。
    いつも自分の恩人は大鵬だと、ひと言目には名を挙げますが。
    第一番の恩人は、宮城野親方でしょうが。
    白鵬の口から親方への賛辞を聞いたことが、ほとんどない。
    名をしっかり挙げてなんて、まずない。
    いつだって、どんなときでも、まずは大鵬。
    そして、天皇陛下を軽々と、挙げ句の果てには歴史を持ち出す(大久保利通の評価はいろいろなんですよ)。
    こういう発言心理は、偉人と自分を同列にいちさせる無意識かもしれないけれど、そういう心理が働いている所以なんです。
    口が軽すぎる大横綱、品格はいまひとつでしたね。
    今まで買いかぶっていた、危機的状況の大相撲を救ってくれた、日本人じゃないのに日本を愛してくれた、そこに諸手を挙げてひれ伏していた、ある種のマインドコントロールから目が覚めだした人が増えるでしょう。
    だからこそ、まだまだ頭ひとつもふたつも抜きん出ている白鵬を倒さずして、日本人横綱の未来はないと叱咤激励致します。
    弱ってからではならんのです。
    今こそ!奮起を!!
    打倒白鵬 これを<さあ、来い!>としっかり受け止めるのが横綱です。男は黙して語らず。刀を持った姿に恥じぬよう、お願いしますわ。

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