豊ノ島はポスト高見盛である。遠藤や逸ノ城を守る、相撲協会広報としての役割の凄さを改めて考える。

夏場所直前ということも有り、最近相撲に関する番組をよく見る。
相撲女子、スージョという切り口の番組も有れば力士の凄さに迫るという切り口の番組も有る。いずれにしても相撲の注目度が高まる中で力士やそれを取り巻く環境にフォーカスした番組構成となっている。
相撲番組となると当然力士が登場することになるのだが、現在その中心に居るのは意外な力士だ。つまり、豊ノ島である。
だが、豊ノ島は相撲ファンの中では広く知られた存在ではあるが、残念ながら一般ファンの前に出れば知名度はゼロに等しい。そんな豊ノ島にテレビ的に求められているのは、いわゆる面白い力士像を体現することである。
梶原大樹という顔を捨て、豊ノ島という人格に成り切った彼は男芸者として面白い力士としての役目を忠実に果たす。一般人が力士をどう見ているかを熟知し、彼らの予想を裏切る回答をし続ける。そして、彼らの期待する力士で在り続ける。臥牙丸の面白外国人キャラや嘉風の裏切り方とは異なる、男芸者としての力士像を体現する凄さが、豊ノ島には有る。だからこそ、彼は重宝されるのである。
疲れている時でも、怒っている時でも、カメラが回れば彼は豊ノ島を演じる。豊ノ島はアスリートでありながらタレントとしての役割も果たしている。
そしてそれは、大相撲全体を救うことにも繋がっている。
そう。
豊ノ島は他の人気力士を守っているのだ。
相撲人気が回復し、力士を特集するとなれば当然テレビ局としては今ブレイクしている力士を全面に出したいと思うはずだ。例えば2年前は遠藤がお茶の間を席巻したことが有ったし、半年前であれば逸ノ城を見ない日は無かった。
だが、今彼らを目にすることは少ない。
その分の役目を豊ノ島がになっているからである。
メディアは基本的に誰かがブレイクすればこぞってその人物を使いたがる傾向に有る。前述の遠藤も逸ノ城も注目度が増しているタイミングで露出度が高まっていた。相撲人気が回復途上だった当時、それは仕方が無いことだった。遠藤や逸ノ城の出演を断るだけの下地が、当時の大相撲には無かったのである。
彼らのメディア出演も一つの契機となり、大相撲に対する注目度は増し、ノーと言える環境になったことは非常に大きいことだ。何故なら、メディア出演はかなりのストレスになるからである。
メディア出演が増えた時、遠藤や逸ノ城はどうなったか覚えているだろうか。期待に応える成長曲線を、彼らは描けなくなったのである。遠藤は幕内中位で停滞し、逸ノ城は横綱大関の壁に阻まれた。他にも理由は存在するのだろうが、少なくとも稽古の時間が工面しづらくなったことは事実である。
そして今、豊ノ島が彼らの役割を補完することによって相撲に集中する環境を産み出した。遠藤は上位と対等に渡り合う突き押しが完成間近となったのは、この数か月の努力の賜物と言って良いだろう。
更に豊ノ島の凄さがもう一つある。
豊ノ島は、メディア出演が増えても成績が低迷しないのである。
メディア出演が増えた2014年、彼は幕内上位と中位を往来している。上位でも五分に近い成績を残し、基本的には上位の番付をキープしている。三役の常連以外でこのような成績を残し続けられるのは、豊ノ島以外に数名しか居ない。
メディア出演が増えて成績が低迷すれば、周囲からの風当たりは強くなる。メディア出演と成績の低迷は結び付けて語られやすく、そこには羨望と嫉妬の感情が入り混じるからだ。
だが、豊ノ島は平然と変わらぬ成績を残すことによって彼らを黙らせている。
生来注目を受けることが苦ではないのかもしれない。むしろ注目を力に変えるタイプなのかもしれない。とはいえ、本来稽古に割くべき時間が相対的に足りなくなる中で同じクオリティを保ち続けるのは遠藤や逸ノ城の例を見ても大変難しいことは事実である。
豊ノ島は相撲協会の広報としての役割を忠実に果たし、そして人気力士を守っている。以前高見盛が果たしていた役割を継承したと言えるだろう。
その凄さにもう少し目を向けてもいいのではないか。
本来ストレスが掛かることを平然とやってのける豊ノ島を見て、私はそう思うのである。
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