2年前にかわいがられた蒼国来が、自己最高位で迎える夏場所。稽古総見のかわいがりの先に有る未来を考える。

4月29日、私は年に一度の稽古総見のために国技館に足を運んだ。
関取の大部分と、幕下力士も数多く稽古に参加する。普段とは異なる趣の稽古を各々が行う。申し合いで諸手を挙げてアピールする力士。怪我の影響なのか、土俵の下で軽い運動だけをする力士。そして、昇進したてできなこ餅の如く泥まみれにされる力士。
それぞれが本場所とは異なる顔を見せ、このような一面が有るのかと驚かされる。たかが稽古。されど稽古。祝日の朝早くから8割は入り、入場制限という声も掛かるのでは?という声が囁かれる程の盛況だったのには、確かに理由が有るのだ。
この日のハイライトは逸ノ城と照ノ富士へのかわいがり。次代を担う両雄の対照的な姿に、我々は大いに語り合った。
なかなか起きられず、且つ起きても押しに力が入らない逸ノ城。疲れていても気力を振り絞り、限界の中から最後の一押しを見せる照ノ富士。この逸材達がかわいがりを受けられるのは、実力からしてあと1、2年だろう。その中で如何に追い込み、限界の中で力を発揮出来る力士に成れるかが今後の成長曲線を考える上で大きなカギを握る。大関や横綱に昇進した後、自分を律してくれる人間は居ないのである。
かわいがられる今を経て、第一人者としての将来が開かれる。
そういえば、と私は2年前のことを思い出していた。
あの時の主役は、蒼国来だった。
件の問題から解雇処分を受け、2年のブランクを経ての相撲界復帰。稽古総見は、蒼国来復帰の御披露目の場でも有ったのだ。その日一番の大歓声を受けて登場した蒼国来を待ち受けていたのは、なんと白鵬だった。粋な計らいに地鳴りのような声援が二人を包む。
だがその後土俵では、過酷な現実が待ち受けていた。ブランクは蒼国来を蝕み、幕内力士というには力不足が否めないことは誰の目にも明らかであった。白鵬はそこで、蒼国来をかわいがったのである。もはや大人と子供。わんぱく相撲の子供が力士に振り回されるアレを思い出す程、成す術が無い蒼国来。復帰することは嬉しいが、これではもうどうしようもない。
嬉しさは一瞬で消え去り、その後の茨の道だけが浮き彫りになる。頑張れという言葉を投げかけるには、現実は厳しすぎたのである。蒼国来の相撲界復帰後の原点は、間違いなくあの日の土俵に有った。
あれから2年。
蒼国来は3場所連続負け越しを経験し、幕下が見えたところから底力を発揮した。2場所で十両を抜け出し、幕内下位に定着。解雇前と同じ水準の結果を残し続けたのである。蒼国来を不運の力士として見ていたのは、番付を落とし精彩を欠いていたあの時だけだった。毎場所当たり前のように出場し続ける蒼国来がそこに居ることは、もはや特別なことではなくなったのである。勿論見えない苦労は有るのだろうが、土俵上での蒼国来からは単に実力者として後姿しか見えない。
それこそが、特別なことなのである。
そもそも31歳の力士が、かつてと同じ水準の成績を残し続けること自体困難なことだ。その上、蒼国来には長過ぎるブランクが有った。その厳しさは、稽古総見で厳しすぎる現実を目の当たりにした我々がよく知っている。
かわいがりを耐えた先には、明るい未来が開ける。
だから、逸ノ城には歯を食いしばって今を耐えて欲しい。
31歳にして自己最高位を更新した蒼国来の姿を見ていると、そう願わずには居られないのだ。
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