平塚と、高砂部屋と、朝弁慶。地域と相撲の絆を産んだ、高砂部屋の平塚合宿に足を運んでみた。後編。

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前回のあらすじ
8月30日に、平塚総合公園まで高砂部屋の合宿に足を運んだ。前代未聞の22年の歴史を誇るこの合宿は、平塚の地に確かな相撲文化を育んでいて、観客の間では高砂部屋が「そこに有るもの」として認知されていた。
雨が本降りになり、一見さんには厳しい環境になる中、一際大きな力士が登場し…
前編はこちら。
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幕下と三段目を往来する朝興貴と朝天舞が三番稽古に励み、34歳のベテランである朝天舞がこの年齢の力士にしては珍しく師匠から檄を受けている。三十路を超えて体得したオーソドックスな相撲を一つ一つ試す中、土俵には一際大きな力士が姿を現した。
そう。
朝弁慶だ。
朝弁慶は9月場所で十両昇進を狙う、高砂部屋最大の希望である。柔道経験者で高校卒業後に角界入りし、コツコツと番付を上げてきた。入門からおよそ4年で幕下に昇進、その後定着して約4年幕下で切磋琢磨を重ねてきた。
北の湖部屋サイドから見た朝弁慶の印象としては、身体が大きいこと。絶えず攻めなければ土俵際で体を残されて逆転を喰ってしまう。そういう意味ではあまりやりたくない、幕下中位に居る大型力士。
ただ、「そういう力士」の域を抜けていなかったのも事実で、幕下中位で良く言えば安定していて、悪く言えば停滞しているという受け止め方をしていた。幕下を観ていたらそこに居る力士の中の一人。それが朝弁慶だった。
ただ、ここ数場所で劇的に変化していることも知っていた。
大きな体を最大限に活かし、変化を恐れず真正面からぶちかます。後援会の方に依ると、今年の初場所の中での特集で次代の関取候補として「湘南の重戦車」という渾名を受けたことが一つの転機になったのでは、ということだった。
友人の話で私が非常に大事にしているのが大型力士の番付ごとの特徴で、幕下だと「動ける」、十両だと「攻める」、幕内だと「速い」というものである。朝弁慶はこれまで幕下の中だと比較的動ける大型力士という印象だった。
だが、先日の放送で言うところの「湘南の重戦車」としての「重爆相撲」と言うべき攻撃を前面に押し出すことによってここ1年番付を中位から一気に一桁まで伸ばし、気が付けば十両に手が届くところにまで顔を覗かせていた。幕下の相撲から、攻める十両の相撲への変化が功を奏したのである。
ここで思い出したいのが、高砂部屋のこれまでの経緯だ。
朝弁慶が入門した2007年は朝青龍全盛期ではあったのだがトラブルメーカーとしてのニュースが報じられつつあった。確かに横綱を輩出した名門ではあるが、入門する部屋として、就職先として考えた時ネガティブな印象を抱かれることは確実だった。
だが、朝弁慶は高砂部屋を選んだ。
朝弁慶は、平塚出身なのである。
先の事情から高砂部屋はこの時期からアマチュア界で名を馳せた有名力士ではなく独自のスカウティング網を活用する形で力士を入門させる方向にシフトしていた。平塚は合宿地でもあり、正にそのスカウティング網の中に有ったのだ。様々な評判が有る中で、高砂部屋を選ぶことに対してネガティブな見方も有ったことだろう。だがそれを考慮した上でも、朝弁慶は高砂部屋を選んだ。
その後高砂部屋は思い出したくもない数年間を経験したのだから、そういう意見も的を射ていたのかもしれない。混乱が無ければもっと早く番付を駆け上がっていたかもしれない。
しかし、高砂部屋でなければ今の活躍が無かったことも事実だ。
準備運動する朝弁慶を見ながら明確に変化していることに、私は気付いた。身体が一回り大きくなっているのだ。それを話すと、隣に居合わせていた後援会の方が私に教えてくれた。
「弁慶、一回り体大きくなったの、あれ朝山端に体の作り方教わったからなんですよ。」
朝山端。
この名前をご存知の方も居るかもしれない。
そう。
あのボディビル出身力士だ。
ここで出てきたのもまた、近年の独自のスカウティング網である。
ボディビルやウエイトリフティング出身の力士が入門するのもまた、高砂部屋だ。一方で中卒叩き上げで入門し、1年半で早くも三段目に手が届こうとしている朝金井のような力士も居る。朝弁慶は、高砂部屋が産み出し、高砂部屋が育んだ力士だ。
余談だが、稽古を取り仕切る若松親方は独自のトレーニングを数多く採り入れており、この日も相撲ではあまり見られない、サッカーで言うところの「ブラジル体操」のような動きをしている力士も居た。こういう一つ一つの工夫もまた、高砂部屋の特色なのである。
雨脚が強まる中、観客が稽古に集中し始めるのを見て、私は声に出さないまでも地元のヒーローに対する期待が高まるのを感じた。
ここで先の方がもう一つ教えてくれた。
「昨日の稽古、弁慶ほんと凄くて、関取が頭付けないと勝てないんですよ。」
朝赤龍は今場所幕内に復帰する。手の内を熟知するこの関取に対して、稽古とはいえ優勢に進めるというのは相当なことだ。突き放す重爆相撲が見せられれば、幕下では相当やるのではないだろうか。
そういう期待が高まったその時。朝興貴と朝天舞のぶつかり稽古が始まり、全員で「ムカデ」を行い、そのまま稽古は終了した。雨が強く、合宿という形態ではよく有ることのようだ。
残念ではあるが、急遽と思われたこの終了に対しても、平塚の方達はニコニコしている。相撲に対する、いや、合宿と高砂部屋に対するリテラシーの高さに衝撃を受ける。関取を始めとする力士達は大雨の中撮影会に興じている。
平塚合宿は、素晴らしいものだった。ブームではなく、地に足を付けた文化としての平塚合宿。高砂部屋と、力士達の誠実に相撲に向き合う歴史に触れたことこそ、価値の有ることだったと思う。
そしてあの朝弁慶は今日、5勝目を挙げて十両昇進を確実なものにした。
もう若くはない朝弁慶にとって最初で最後かもしれない勝負の9月場所で、自分の相撲を取り切ったことに胸が熱くなった。切迫した状況は、自分を見失わせることも多い。勝負の一番で致命的なミスを犯して夢が遠のく様を多く見てきた。だからこそ、この快進撃には本当に意味が有るのだ。
朝弁慶が勝ち名乗りを受ける中、私は平塚で観たあの大きな背中を思い出していた。来年は白い廻しを付けた朝弁慶が、あの雰囲気の中で激しい稽古をする様を観てみたい。しかもそれは、夢物語ではないのだ。
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