自分に勝つ琴奨菊。自滅する白鵬・日馬富士。二つの「そんなはずがない」が織り成す、魔法の先に有るものとは?

え?
嘘だろ?
そんなはずがない。
あまりにも意外な光景が、この2日続いている。
そしてその中心には、琴奨菊が居る。
だが「そんなはずがない」のには二つの理由が有る。まずは、琴奨菊の相撲内容。そして、二人の横綱の相撲内容である。
琴奨菊は人生最高の相撲を見せている。これは素晴らしいことだ。だが、人生最高の相撲を取れているからといって、今この舞台でそれを実行することは容易ではない。
稀勢の里も、栃煌山も、優勝争いをしている時のことを覚えているだろうか。思い出したくもないほど、無残な内容で敗れ続けた。そしてそれは、少なくとも私の中では一つのトラウマと化している。
優勝争いは力士を惑わす。ましてや優勝したことが無い力士が、そして「日本出身力士の優勝が」というフレーズで期待の声をメディアから掛けられ続けてきた力士が、そういう状況で自分を保つことは尋常ではない。
琴奨菊が素晴らしいのは自分を保てていること。そして、土俵上でこれまでと同じ相撲が取れていること。この二つである。
そして、もう一つの「そんなはずがない」に私は驚いている。
そう。
二人の横綱の取組内容である。
絶好調の琴奨菊で一番警戒せねばならないのは、当然左だ。
あの左を封じるためにどうするか。
白鵬は張り差しを選んだ。
だが、その張り差しゆえに攻めはワンテンポ遅れた。
そして遅れた瞬間、琴奨菊は左を攻略していた。
日馬富士は右を差しに行った。
明らかに差し勝っていた。
琴奨菊の左はもはや風前の灯だった。
しかし、日馬富士は下手を取るのに手間取った。
まごついている間に琴奨菊は巻きかえ、形勢逆転した。
そんなことは、有り得ない。
それだけはやってはいけないという相撲を二人の横綱は取ってしまったのだ。私にはそれが信じられなかった。そしてそれを信じられなかったのは、これまでモンゴル人力士達が見せなかった内容だったからだ。
まるで、かつての日本人力士のようではないか。琴奨菊がモンゴル人で、白鵬と日馬富士が日本人。そう置き換えるとこの結果は非常にしっくり来る。
「そんなはずがない」が続く中、琴奨菊は今の相撲を取り続けられるのか。まるで勝つことが約束されているような、そんな相撲を琴奨菊は取っている。魔法が掛かったような、夢のような12日間を琴奨菊は経験している。
あと3日。
この魔法は続くのだろうか。
そして琴奨菊に対峙する力士達はどうなるのか。
歴史は、動くのか。
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