清原逮捕。「しくじり先生」として相撲ファンが、野球界の「今そこに有る危機」を考える。

相次ぐ体罰。
野球賭博。
そして、薬物使用での逮捕。
これらの不祥事は誰が起こしたことであろうか。5年前に聞けば100人が100人「大相撲」と答えたことだろう。だが、その答えは2016年では異なる。「野球」である。
体罰は高校野球。
野球賭博は巨人の3選手。
そして覚醒剤は元選手の清原によるものだ。
高校野球には高校野球の風土が有る。そして、プロ野球にはプロ野球特有の文化が有る。更には、OBにはOBの世界が有る。
これらを全て「野球」という括りで結び付けて、球界の腐敗として断罪するのは違うと思う。世界が異なるのだから、問題の根本原因も異なる。高校野球とプロ野球の問題を、そして現役とOBの話は全く異なる。そのように捉えられているうちは大丈夫だと思う。
だが、私は思い出す。朝青龍の問題と時津風部屋の問題が、いつしか大相撲の問題として捉えられたことを。そして更に浮上する不祥事によって、大相撲が信頼を失墜したことを。
近い世界で起こった出来事を、人は結び付けて語ろうとする習性が有る。共通項を見つけてけしからんと語りたがる節も有る。そして、問題が起こると文化的背景などを結び付けて、世界の全てを否定するきらいも有る。
これは「しくじり先生」としての大相撲による経験談だと思ってほしい。そして、同じ轍を踏まないでほしい。
これ以上球界で不祥事が続けば、恐らく選手やその世界だけの問題でなく、野球としての問題として捉えられる日が来る。それは、地獄の日々だ。選手も協会も、問題に関わった全ての人間が想像以上に罪を贖う姿を見せなければ、世間は赦してくれない。
世間は今、前述の問題を個別の問題として捉えてくれている。だが、それはいつまで続くか分からない。次は点と点を線として結び付けられるかもしれない。いや、結び付けられると捉えるべきなのだ。
観客なき国技館ほど寂しいものはない。そして、何をやっても批判的に捉えられることほど辛いことは無い。人気回復のために登場したゆるキャラの「ひよの山」さえも「今はそんなことをしている場合ではない」と批判されたことを私は忘れない。
大切なのは、信頼を失ってからのことではない。
信頼を失う前の対処なのである。
そう。
大事なのは今なのである。
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