立合の変化は、稀勢の里の決意表明である。

変化?
あの稀勢の里が、変化?
変化と稀勢の里が結び付かなくて、とにかく混乱する。だが、琴奨菊と稀勢の里という今場所の優勝を占ううえでの大一番は、稀勢の里の変化という形であっけなく決着が付いた。
琴奨菊は低かった。
あまりにも低すぎた。
そこに予想外の、いや、無いことが前提だった変化が待っていた。琴奨菊の綱取りは、ここでほぼ潰えた。
稀勢の里の変化など、私の記憶には無い。言い換えると、それほど立合で分かりやすい力士だということだ。碧山や栃煌山が稀勢の里を得意としたのは、正にそれが理由だ。
モンゴル4強が形振り構わず勝ちに邁進する中、稀勢の里はその覚悟の分だけ後れを取ることになった。稀勢の里は明らかに限界に直面していた。誰に何を言われても勝ちは譲れないという決意をするのか、それとも今の美学を守ったうえでモンゴル勢と闘うのか。
今日の取組が終わった後。
稀勢の里は野次も罵声も浴びせられた。
それは仕方ないことだ。
それほどの一番だったのだ。
だが、この一番はそれほどの価値の有る取組だった。西岩親方も先日のインタビューで、先場所琴奨菊の優勝を決めたターニングポイントは、稀勢の里戦だったと話していた。つまり、優勝するにはターニングポイントとなる一番を取ることの重要性を語っていたのである。そしてその一番に成り得るのが、この琴奨菊戦だったのではないかと思うのだ。
稀勢の里は、遂に決意したのだ。後ろ指を指されても、勝つのだという決意をしたのだ。私はこの決意表明を重く受け止めたい。あの稀勢の里の変化という重過ぎるメッセージを、しかと受け止めたい。
本当に重い意味を持つ6日を、見届けよう。
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