白鵬がもたらす大相撲の危機とは?前編

大相撲の凄さは、長い歴史の中で人気を維持していることだと思う。というのも、格闘技というのは人気を維持するのが極めて難しいものだからである。
例えば、キックボクシング。沢村忠の時代に隆盛を極めながら、沢村の引退で下火になり、それ以来かつての姿は取り戻せていない。
例えば、総合格闘技。Prideなどのイベントが年末に乱立し紅白歌合戦を脅かす存在になりががらも、Pride消滅後は地上波での中継を失い、今年の4月にwowowのUFC放送も終わってしまった。
格闘技の興行は、歴史的に様々なイベントが旗揚げされている。そして、一つの傾向として一定期間は爆発的に支持されることが有る。だが、それはあくまでも一定期間に過ぎないのである。
しかし、爆発的に支持されるのは黎明期で、人気が下火になるのは競技として成熟してからだ。つまり、競技としての質を人は見ているのではないのだ。黎明期ほど、キャッチーな何かが有る。「真空飛び膝蹴り」や「踵落とし」はその典型である。そう。週刊少年漫画文化が浸透した日本人には、スポーツの中にキャッチーさが必要なのだ。
見ている観客は素人だ。素人にも分かる楽しさが有るからこそ、格闘技に惹かれる。だが競技の質が上がると相手の良さを潰し、自分の長所で闘うような攻防が見られるようになる。このような変質は黎明期のキャッチーさを失わせるので、それを期待すると残念な結果になるのは事実だ。その結果、残るのは目の肥えたファンのみでマニアなジャンルと化す。キックボクシングも総合格闘技もジャンルとして継続しているが、人気を博した頃と客層が異なるのはそういう訳だ。
そういう少年漫画文化の中で、大相撲は人気を博し続けている。その大きな理由は、格闘技興行が直面するキャッチーさの喪失の問題をクリアしているからだ。
大男同士がぶつかり合い、倒すか円の外から出せば勝ち。投げるにしても、押し出すにしても、どちらにしても豪快且つ爽快だ。消化不良な結末が起こりにくい競技性を長年掛けて構築してきたこと。それこそが大相撲の凄さなのである。
分かりやすくて奥深い。単純に見えて、実は複雑な攻防が有り、しかし見た目にはキャッチーさが保たれている。これは恐らくあらゆるエンターテイメントが行きつきたいが、行き着く前にマイナージャンルに転落し、コアなファンを相手に緩やかな縮小を繰り返さざるを得ない課題である。
競技としての質の向上とキャッチーさの維持。
この二つが有るからこそ大相撲を一度も観たことが無い素人でも楽しめる。そして、大相撲を永年見続けてきたファンでも楽しめる。大相撲の素晴らしさは、この点をクリアしていることに尽きるのである。
だが近年、この素晴らしさが脅かされている。
大相撲の根幹が損なわれる危機を迎えているのである。
そしてその中心には、白鵬が居るのだ。
後編に続く。
◇お知らせ◇
幕下相撲の知られざる世界のFacebookページはこちら。
限定情報も配信しています。