千代の富士死去。超人のモデルにもなった、その強さと時代性を考える。

漫画「キン肉マン」に登場する、ウルフマンという超人を知っているだろうか?
キン肉マンの仲間として、アメリカ出身のテリーマンやイギリス出身のロビンマスク、そして中国出身のラーメンマンはメジャーだと思う。ラーメンマンに至っては彼単体の作品が有るほどだ。ちなみにラーメンマンの変装する「モンゴルマン」という超人も存在していた。
そして、日本代表として登場したのがウルフマンである。
力士をモチーフとした、超人のウルフマン。必殺技は、ルービックキューブ張り手だ。顔面に張り手を加えることによって、まるでルービックキューブのように腫れさせてしまうという荒業である。技の名前にも時代を感じるのであるが、モデルとなる力士のことを考えるとまた時代を感じる。
有名な話だが、ウルフマンという名前には自主規制が掛かり、テレビで放映する時はリキシマンという名前で登場していた。製作サイドがモデルとなった力士に対して配慮していたそうだが、その力士としては別にウルフマンで問題なかったという言葉を残しているそうである。
そう。
ウルフマンのモデルは、千代の富士である。
超人にも準えられたスーパースターが、昨日亡くなった。
35歳の私が初めて観た横綱は千代の富士だった。相撲を全く分からない私ではあったが、千代の富士から大相撲の概念を学んだように思う。
相撲とは、大男同士が円の中でぶつかり合い、先に出るか倒れるかした方が負けという競技だ。先に出し、倒す側に常に居たのが千代の富士だったという訳だ。千代の富士より小さな力士は数えるほどだが、誰よりも速く動き、誰よりも力強く大男をねじ伏せる。
相撲とは、大男が円の中で勝負を競い、最後に千代の富士が必ず勝つ。ゲイリーリネカーは『フットボールは単純だ。22人がボールを奪い合い、最後はドイツが勝つ』という言葉を残しているが、私に言わせると相撲で言えば最後に勝つのはいつだって千代の富士だった。
だからこそ、千代の富士は少年漫画で超人として描かれた訳である。日本代表の超人は山下でもなく、具志堅でもなく、猪木や馬場でもなかった。千代の富士こそが、超人だったのだ。
そんな話が、今有るだろうか。
例えば貴乃花が、朝青龍が、そして白鵬がこのような描かれ方をしたことが有っただろうか。有ったとすると、少年漫画ジャンプで連載されていた「真島クン、すっとばす!」という漫画で曙をモチーフとした選手が地下格闘技場の1回戦で主人公と対戦したことだろうか。ちなみに彼は主人公に敗れ、試合後にテコンドー兄弟に両膝を破壊されるという悲哀を味わっている。
千代の富士は、強かった。
速かった。
力強かった。
そして、カッコ良かった。
だが、私にとって千代の富士は見た目の良さや持たざる者が持つ者を倒すという力士ではなかった。とにかく、千代の富士は強かったのである。
強いことが強烈過ぎて、カッコ良さは後で付いてくる要素に過ぎなかった。マイノリティの要素も、アイドルの要素も、千代の富士の持つ強さには敵わなかったのである。
千代の富士引退後、力士と強さの関係性は変化した。
北尾が高田延彦のハイキックに沈んだ。
そして、曙はボブサップとのあの一戦を経験した。
2016年にウルフマンが登場しないのは、大相撲の位置づけを知ったからだ。大相撲は確かに強い。だが、格闘技という土俵に上がるには打撃の練習も必要だし、関節技の対策も必要だ。そういう客観的な評価を、この30年で我々は知った。
1980年代は、そこに幻想が有った。そして、千代の富士の強さもまた当時囁かれていた「相撲最強説」を支える要素の一つだった。それほど千代の富士の強さは際立っていたのである。
そういう強さをリアルタイムで観られたことは、私の財産である。貴乃花から相撲に入った方も、朝青龍で入った方も、白鵬で入った方も、最近の人気で相撲に入ったスージョの方も、千代の富士の強さは知らない。
小さくても、脱臼癖が有っても、30代になっても、勝てる相撲が有る。
そしてその相撲は、超人的な強さなのである。
最強という幻想さえ抱かせた千代の富士の強さを、私は語り継ごうと思う。面倒な老人と思われても良い。千代の富士は、それだけの力士だったのだから。
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