生きろ。時天空。

時天空、引退。
昭和54年世代の彼が引退することは驚くことではない。現役中に癌という病を背負い、続行不能になったこと。それが大変なことなのだと思う。
考えてみると現役中に病に倒れ、引退に追い込まれた力士は過去にも居た。そして、玉の海のように現役中にこの世を去った力士も居た。
だが、ブログを書き始めてからこのような事態になった力士は一人も居なかった。だからこそ、思うところが有る。
力士としての功績を振り返ることに、それほど意味は無いと思う。一人に一つの時天空が居る。それぞれがそれぞれの力士:時天空に別れを告げればいいと思う。
ただ、この唐突な別れについてはどう向き合えば良いのか。体験したことの無い出来事に対して私はひどく混乱している。時天空は面白い力士だった。何をするのか。いつもそういう観点で時に胸を躍らせながら、時にハラハラしながら観ていたように思う。いつもそこに居る、個性派力士だった。
時天空は病と引退によって、私の中で存在が大きくなった力士であるように思う。超人としての時天空が、他人事でない事態に巻き込まれることで近づいたように感じているからだ。それだけで想いを投影させる存在になると思うのだ。
ひょっとしたらこれは、最近の言葉で言うところの「感動ポルノ」なのかもしれない。現役時代にそこまで肩入れしてきたとは言い難い力士に対して、病気を機に頑張れというのはおこがましいのかもしれない。病気の時天空に対して安全圏から頑張れという言葉を投げ掛けているだけなのかもしれない。そしてそういう「にわか時天空ファン」たる私に対して、快く思わない方も居るかもしれない。
何が正しいのか。
どう在るべきか。
まだ私には分からない。
しかし、私には私なりの時天空が居る。想う次元は浅いかもしれない。もっと現役時代に向き合うべきだったとも思う。それでも、想わずには居られないのである。
それは恐らく、時天空の存在の大きさなのと思う。いち力士が病に倒れた時、ここまで衝撃を受けることは無いだろう。病と時天空を結び付けることが出来ないし、結びの一番でけたぐりに行く姿が目に焼き付いている。
そんなことを思いながら、今回のタイトルを考えた。最初に考えたのが「死ぬな。」だった。失いたくない思いから、私はそれで行こうと思った。
だが死を回避するというよりも大事なのは、生きることであるように感じた。同じ意味を持つのかもしれないが、積極的に生きるという姿勢で居て欲しいと感じた。もっと生きることで、何かを示してほしいと私は感じたのである。
生きろ。時天空。
にわか時天空ファンの私に言えるのは、それだけである。
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