3横綱連破。信じながら、信じずに稀勢の里を見届ける。

白鵬。
鶴竜。
そして、日馬富士。
稀勢の里は横綱3人を撃破した。
それも、この上ない相撲で。
稀勢の里が勝つときの内容は、完全に横綱相撲だ。ぐうの音が出ない内容で、相手が誰であろうとねじ伏せる。それが史上最強に極めて近い力士であっても。
この内容を見せられれば、期待せざるを得ない。昨日朝活に来ていた相撲ビギナーの友人に稀勢の里の話をしたところ、この2日の内容ですっかり彼の虜になってしまった。当たり前のことである。
その相撲は、魅力に満ちている。そんなことは相撲を観たことが有る者ならば誰でも知っている。
横綱相手に3連勝。残り3日。鶴竜が1敗すれば、稀勢の里が全勝ならば賜杯は見えてくる。横綱戦を終えた稀勢の里の状況を考えると、普通に考えると非常に現実的な話だと思う。
そう。
普通に考えれば。
ここまで素晴らしい内容を見せられても、私は稀勢の里を信じられないのである。
この数年、何度同じことを繰り返してきたというのだろうか。大関昇進後、積み重ねた準優勝の数は遂に2桁に到達した。シルバーコレクターと言えば聞こえがいいが、要するに勝負どころで勝てないということだ。
実力が無ければシルバーはコレクト出来ない。だが、勝負弱いからこそゴールドがシルバーになる。準優勝の回数で稀勢の里の強さを賞賛することは、もはや何の意味も持たない。大関としての強さではなく、横綱としての強さを稀勢の里には期待しているのだから。稀勢の里は、大関としての強さを見せ続けてくれた。しかし、横綱に必要な強さ、ここ一番の強さは一度たりとも見せていない。そしてそれこそが、私が稀勢の里から見たいものなのである。
事実上の優勝決定戦を、この1年あまりで何度経験しただろうか。
期待値が膨らみ切ったところで、最低の内容で敗れる。夏場所以外はその繰り返しだ。3横綱を圧倒しながら、期待し切れない力士など世の中で稀勢の里くらいだろう。それほど稀勢の里の歴史は、期待と失望の繰り返しなのである。
「稀勢の里は俺達であり、俺達は稀勢の里である」
私は5月にそのような記事を書いた。もしかすると私は稀勢の里であるがために、稀勢の里を信じられないのかもしれない。そしてそれは、もしかすると稀勢の里自身も同じなのかもしれない。
だが、もしかすると3人の横綱を破ったのだからこそ、稀勢の里は稀勢の里の殻を破れたのかもしれない。全ては「かもしれない」で語るしかないことだ。そしてそれが「かもしれない」から「である」になるのか「かもしれない」で終わるのかが問われている。
信じたいが、信じられない。誰よりも稀勢の里を信じられないのは、恐らく稀勢の里自身だ。そんな稀勢の里が今、3横綱を撃破した。何かを変えようと、稀勢の里は一昨日も昨日も今日も闘っている。
私自身、信じようとしている。だが、裏切られた時のダメージが深すぎて信じきれずに居る。信じてみようと試みたが、心の底から信じるには歴史が重過ぎる。予防線を敷くのを止めようと思ったが、それはもう無理なことだ。
ならばもう、自分のレベルで観るしかないのではないかと思う。そうするしかないのだ。稀勢の里を信じられないことは、責められることではない。
信じながら、信じない。心臓の鼓動に身体をよじらせながら、手で目を覆いながらテレビを観る。テレビを観ることが出来ないなら、ヤフーニュースやツイッターを思い切って更新する。今の稀勢の里を観るという行為は、それでいいと思う。
変わるのか。
変わらないのか。
信じるのか。
信じないのか。
信じながら、信じずに稀勢の里を見届けようと思う。
◇おしらせ◇
11月27日に東京近郊で相撲観戦会を開催します。今回は特に縛りは設けませんので、参加をご希望の方は詳細を案内いたしますのでプロフィール欄を参照の上、メールいただけますようお願いします。
※残りわずかですので、お断りする可能性もございます。ご了承ください。
◇Facebookサイト◇
幕下相撲の知られざる世界のFacebookページはこちら。
◇Instagram◇
幕下相撲の知られざる世界のInstagramページはこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)