スリリングな白鵬戦を楽しめる「幸福」を考える。

白鵬戦が、面白い。
白鵬が衰えたとか、リスペクトが足りないとか、そういう次元の話ではない。
第一人者としての横綱がいる。
誰がどう観ても素晴らしい横綱がいる。
記録の面から見ても、ナンバーワンだ。
そういう横綱が、実績と実力を兼ね備えた存在が、毎回スリリングな相撲を取る。
例えばこれが普通の横綱であれば、スリリングさはその横綱の実力不足として糾弾されるだけの話だ。引退勧告や罵倒のような、つまらないレベルの話として単なるノイズになるだけなのである。
強すぎる横綱はエンターテイメント性に欠ける。あれほどの人気を誇った貴乃花も、横綱昇進後はブームが沈静化した。ウルフフィーバーも、横綱として優勝を重ねていた時期は沈静化した。
そして、弱い横綱はただ去るのみだ。故に、横綱の相撲が面白いというのはなかなか起こりづらい現象なのである。そういうものなのだ。
今の白鵬は、優勝を積み重ねてきた頃の白鵬とは異なる。それは、序盤の取りこぼしや終盤の失速といった、かつては無かった現象がここ1年発生し続けていることからも、認めざるを得ないところだ。
ただ、かつてほどの水準を保てなくなった横綱に対して、本来は揺り戻しとも言える現象が発生する。北の湖の最後の優勝や、貴乃花の例の一番について考えれば、お判りいただけると思う。
だから、今の白鵬に対しても感情移入の対象になるのかと思いきや、違ったのだ。
これまではなす術なく敗れていった力士達が、今は大横綱の首を狙って手を尽くしている。プレッシャーよりも自らに対する期待が勝るので、程良い緊張と程良いテンションで臨むことが出来る。勝てばヒーロー、負けても失うものは無い。そして、勝つチャンスも有る。
そういう意欲的な力士達が素晴らしい相撲で大横綱を追い詰める様は、魅力的だ。そして何よりこの危険な状況を同情ではなく魅力的に映しているのは、白鵬の強さに依るところが大きい。
白鵬は、それでも横綱としての責務を十二分に果たしている。たとえ序盤で取りこぼしても、終盤で競り負けても、横綱としてのボーダーラインはしっかり超えてくるのである。
意欲的な力士達に敗れることもある。だが、そういう力士達を時には力で退ける。そしてまたある時は劣勢をはねのけて凌ぐ。白鵬は弱くなったかつてのヒーローではなく、横綱としての凄みを今でも見せ続けている。
そう。
スリリングさを楽しめる限り、白鵬は白鵬なのである。
2017年の土俵に、もはや閉塞感は無い。今もなお伝説であり続ける白鵬と、白鵬を打倒しようと手を尽くす上位陣が織りなす、予測不能、制御不能な大阪場所を皆で楽しもうではないか。
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スリリングな白鵬戦を楽しめる「幸福」を考える。” に対して1件のコメントがあります。

  1. 帰省の郷 より:

    毎回、nihiljapkさんのブログは本当に本質的でおもしろい。巷にあふれるコメントの数々とはレベルの違いを感じます。
    稀勢の里に対する思い入れが強いが故に,いつの間にかアンチ白鵬になってしまった自分ですが、そんなわたしにとっても白鵬を応援したくなり、心が温かくなり、読んで良かったと思え、ますます大相撲の魅力を感じてしまいます。そんなブログです。
    前回の八角部屋のシリーズもとってもよかったです。
    わたしはどちらかというと、努力と根性主義の「前近代的」なものに生理的になじめませんが、その根底にある相撲道に対する真摯な姿とか、後輩を強くしてやろうという愛情などは認めざるを得ません。
    それがあるからこそ、あそこまで「鍛える」のでしょう。
    そして「鍛えられる」方もそれがわかっているからこそ、「ついていく」のでしょう。
    この関係性が「強くなる」大きなする要因であれば、わたしの「うすっぺらな民主制」などは吹き飛んでしまいそうです。
    でもやっぱり、部屋ごとの稽古の特色はいろいろあった方がいいし、「こうでなければいけない」という正解はないと思っています。
    それは親方の人間性、考え方によって決めればいい。
    「みんなちがってみんないい」という金子みすゞさんの詩がありますが、それを思い浮かべた前回の書き込みでした。

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