女性の相撲ファン=「スージョ」。否定的な声も有る中、「スージョ」という言葉が相撲界に必要な理由を考える。
女性の相撲ファンのことを、最近「スージョ」と呼ぶらしい。
この言葉を提唱している雑誌「相撲ファン」にはこの言葉の定義が書いてあるが、まぁこれは言葉遊びに過ぎないので真に受ける必要も無い。興味が有る方はこちらをご覧頂ければと思う。
相撲を愛してやまない女子「スージョ」が増加中!?女性向け相撲マガジンも創刊
相撲と女性という二つのキーワードについては、最近では本当によく取り上げられている。先日記事にもした「女子目線の相撲」については初場所でもNHKで放送されていて大反響だった。平井アナのあんみつ姫事件という相撲放送史に燦然と輝く怪挙や、中学生の女子相撲ファンが通り掛かった魁聖にサインを求めなかったりと、放送として只事ではなかったことも有るが、攻めた内容と面白さを両立させた素晴らしい放送だったと私は思っている。
相撲に女性という新しい要素を組み合わせることによって生じる化学反応もさることながら、女性ファンが増えてきているということ自体がまず素晴らしいことだと思う。そして、そこに着目してカープ女子の相撲版とも言える「スージョ」という言葉が誕生したこともまた、とても前向きなことだと思う。
既にTBSの複数の番組でこの「スージョ」という言葉に着目し、その実態に迫るというコンセプトでの番組も放送されている。ヤフーの検索ワードでも「スージョ」は5位にランクインしていた。それほどこの新語が与える影響はかなり大きなものとなっている。だが、誰もが予想したことでもあるが、この「スージョ」という言葉に対して批判的な方が出始めている。
スージョとは呼ばれたくない。
スージョ扱いされたくない。
発言の根底に有るのは、世間が生み出したブームに乗っかっているにわかファン扱いされたくない、という想いである。今の世の中で一番避けたいことは、メディアに動かされて何かをするという、いわゆるにわか認定であることは間違いない。だからこそ、女性の相撲ファンを指してにわかファンたる「スージョ」という括りにすることに腹を立てる気持ちは分かる。
例えば私が職場や久々に会った友人からこうした扱いを受けたとしたら、逆に相撲の話に引き込むこと位容易いことだが、相撲ファンを舐められたことについて苛立つのは事実だろう。こんなことは本当によく有るだけに、煩わしい誤解への怒りについては何も言わない。
そして、カープ女子やセレ女の何番煎じだろうと思うようなこの「~女子」という、女性をターゲットとした安易な売り込み方に対する怒りも分かる。売り方がそれしか無いのか?何も考えていないのか?何も考えられないのか?そういう観方は尤もだと思うし、私も出来ればこの手のやり方は無い方がいいと思っている。
そしてここからは私の意見である。
ここまで「気持ちは分かる」や「何も言わない」という論調で進めてきたことからも察しが付くと思うが、実は私は「スージョ」に対して肯定的である。ここからはその理由を述べていきたい。
まず考えてほしいのが、「スージョ」という言葉の影響力である。この言葉が生み出されたのは、2015年に入ってからのことだ。つまり、まだ生まれてから1か月と経過していないのである。だが、我々は既に相撲が好きな女性を指し示す言葉=「スージョ」を認知しつつある。こんなにも早く、新しい言葉が浸透することはかつて有っただろうか?私には全く記憶が無い。
「スージョ」という言葉を起点として、もう既に雑誌の紹介もTV番組の放映も相次いである。そもそもかつてこれほど相撲が取り上げられたことは有っただろうか?勿論昨今の相撲人気ということも大きな理由だが、相撲と女性という取り合わせに依る訴求力がとにかく只事ではないのである。例えば異なる方法で仕掛けたとしても、果たしてこれほどメディアに取り上げられることは有っただろうか?
私は実はこの「何番煎じだ?」というところにこそ今回の取り上げ方の肝が有って、それは詰まるところ「~女子」という戦略が非常に有効だということだ。「何番煎じだ?」というのは、実は戦略的に訴求力が有るということの証明でもある。例えばこれと類似した事例で言えば「~ジャパン」が思い付く。サムライジャパン、なでしこジャパンに続き、チーム競技でオリンピックを目指すとなると必ず「~ジャパン」と命名され、一度はメディアに登場する。競技と「~ジャパン」を全て結ぶクイズが出来そうなほど、今日本には無数に「~ジャパン」が存在するように、「~女子」もまた同じ効果を持つのである。
そして、相撲の持つ影響力の強さである。仮に「~女子」と命名したからと言って、すぐに取り上げるほどメディアは暇ではない。どんなに批判をされても、営業戦略としてメディアを動かしたいスポーツは多いのではないかと思う。考えてみると、スポーツニュースで取り上げられる競技は限られている。大抵の競技はオリンピックか直前の予選でもない限り登場することは無い。
だが、相撲はNHKで連日放送されているうえに、結果はおろか、昇進発表や番付発表、更には豆まきやお姫様抱っこに至るまで、少し目立つニュースが有れば放送してもらえる立ち位置に居る。そんな影響力の大きさを利用し、この戦略に出たのだとしたら非常に賢いやり方だと思う。
更には、現在相撲を観戦しているファン層を考えると、残念なことにメインとなるのは高齢者の方である。
最近のブームで状況が変わりつつあると言っても、どう好意的に受け止めても、現在若者に支持を集めているとは言い難い状況である。だからこそ、将来を見据えて今やらねばらないのは若い相撲ファンを獲得することで間違いない。しかも、それを若者に刺さる流儀でやらねばならない。
若者に届くやり方とは何か。今それを模索して様々な企業が壁に当たっている。「若者の~離れ」という言葉が有るが、若者は最初からそれを支持している訳ではない。最初から関心が無いのである。そんな状況の中で若者に刺さりやすい手法が有り、しかも大相撲であれば取り上げてもらいやすいという特性が有る。「スージョ」という売り出し方が非常に有効で、しかも今後の相撲界を考えると必要なやり方であったかがお分かりいただけたと思う。
そしてにわかファンが根付くか?という問題だが、これに関しては後は土俵の充実次第ではないかと思う。
戦略によってファンを国技館に、テレビの前に運ぶことが出来るが、そこまでである。いくら世間が面白いと喧伝していたとしても、面白くなければ次第にファンは離れていく。ましてや1億人総批評家時代に於いて、多少の品質劣化であっても厳しく指摘されてしまうのは仕方が無いことだ。
更には、これは散々言っていることだが誰もが最初はにわかファンなのである。最初から分かっているファンなど存在しない。知識が無いところから始めて、面白さに気付いて自分から知識を得ていく。徐々に知識を付けて、気が付いたら周囲のファンと同じように話している。最初からにわかファンにノーを突き付けてしまっては、コアなファンだけしか残らない、閑散とした国技館になってしまう。
あの事件でその寂しさを思い知り、少しでも人気回復のために手を打つべきだと誰もが思ったはずだ。だが、どんな手法であっても手を打てば文句を言うファンは一定の割合で存在する。「すべてのジャンルはマニアが潰す」という言葉を新日本プロレスを手掛けるブシロードの社長が話していたことは正にその象徴ではないかと私は思う。にわかファンを含む新規ファンをコアなファン層が忌み嫌う空気が流れてしまうと、そこには入りづらくなる。常連客がよく来る居酒屋に初めて入ってしまった時の気まずさを思い出してもらえたらこのことがよく分かるだろう。
全てに好意的に受け止めることは難しいと思う。だが、「スージョ」という言葉を用いた戦略は場当たり的ではないと思うし、少なくとも私は批判を受けることは重々承知の元この戦略に出たこと自体、素晴らしい事だと思う。一体今まで誰がこのような覚悟の元にブームを形成しようと試みたことか。そこには将来の相撲に対する危機意識と相撲愛が有るのではないかと私は思う。
様々な意見は有って然るべきだと思うし忌み嫌う理由も有るので、批判的な意見が有っても私は良いと思う。ただ、理想だけでは将来は作れないし、綺麗事を分かった上で背を向ける強さについては、納得しなくても理解してもいいと思う。
「スージョ」がどのような未来を切り開くのか。これからも注目していきたい。
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