力士としての残像を追い掛けるのは、幸か不幸か。元幕下力士:吐合さんのとんかつ屋に足を運んで考えた。
旨い。
旨過ぎる。
外はサクッと。中はジューシー。陳腐な表現だが、そうとしか言いようが無い。そして、こんなに肉が優しい柔らかさになるのか。肉がふんわりしている。今までに無い感覚だが、それがいい。
付け合わせの千切りキャベツを間に潜らせる。やはりこれが無いと物足りない。誰だか知らないが、この組み合わせを考えた人は天才だ。逆にこれが肉だけだとしたら重過ぎてしまう。
時を忘れてロースカツ定食を貪り喰う。こんなに旨いとんかつ、記憶に無い。千葉県某所のとんかつ屋で、ボンヤリとほうじ茶を啜る。唯一残念だったのは、味噌汁の具が私が食べられないしじみだったことだけである。
だが何故川崎在住の私が片道1時間半掛け、千葉県までとんかつを食べに足を運んでいるのか?と疑問に思われる方も居るかもしれない。当然その理由は、単に旨いとんかつを食べに来たかったということではない。「とんかつ」「千葉」というキーワードでピンと来た方は、当ブログの古参読者であることは間違いない。
そう。
吐合さんの次の道を見たかったからである。
簡単に説明すると「吐合さん」というのは当ブログを始めるきっかけになった元力士の方だ。11年前に学生横綱として全日本選手権に参戦し、当時高校横綱だった澤井(後の豪栄道)に連敗する様子を偶然テレビで見かけた私は珍名とそのキャリアに興味を持ち、吐合の動向を追いかけるようになった。
北の湖部屋に入門して以降の吐合さんは幕下15枚目格付け出しデビューを果たすも、膝の大怪我で2年近く土俵から遠ざかり、番付外まで地位を落とした。学生タイトルを獲った時の相撲が取れなくなる中、幕下上位まで地位を戻すも、そこからは一進一退だった。
11枚目で迎えた12年初場所で、吐合は千代鳳や東龍、熊谷(錦木)など将来の関取を悉く破り、あと1勝で十両というところまで歩を進めるも、1分半を超える大熱戦の末に里山に敗れてしまう。そこからは糖尿病で体が増やせないという事情も有り、徐々に地位を落して今年5月に引退。引退時の記事についてはこちらを参照してほしい。
幕下力士:吐合の引退。愉しさと残酷な現実の狭間で、我々は如何に引退に向き合うべきなのか?前編
幕下力士:吐合の引退。愉しさと残酷な現実の狭間で、我々は如何に引退に向き合うべきなのか?中編
幕下力士:吐合の引退。愉しさと残酷な現実の狭間で、我々は如何に引退に向き合うべきなのか?後編
単に力士として苦労を重ねているだけでなく、立派な人柄にも感銘を受けたこと。そしてそんな吐合さんが土俵を降りた後で、どのような道を歩まれているのかが気になり、奇しくも全日本学生相撲選手権が行われた11月7日に、吐合さんが現在働いているという千葉県某所に足を運んだわけである。
とんかつは、素晴らしく美味しかった。
だがもう一つ驚いたのは、社会人としての吐合さんのことだ。
厨房から吐合さんの、力士としては小さいけれども一般人としてはそれでも大きな体は一際目を惹く。一つ一つの仕事をテキパキとこなしていることは、雰囲気と言葉の掛け合いからも見受けられた。
考えてみると引退が5月だから、この道に入ってまだ半年足らずである。それにしては馴染み過ぎている。行っている作業も下働きの若手のそれには思えないし、何よりも周囲との関係性が半年の新人に対するものではない。
何か欠落を抱えた新人に対する対応というのは、一目で分かってしまう。言葉の端々にも攻撃性は出てしまうし、相手に対する態度にも表れてしまう。世間から離れた相撲の世界に身を置けば、適応せねばならないことは多いことだろう。更にそういう特殊な世界の出身者であることは、レッテルを張られやすいということも意味している。
誰もが出来ない何かが出来る代わりに、誰もが出来る何かが出来ない。力士だった期間が長いだけに、良さを活かす前に失格の烙印を押されてしまう。ちなみにこれは、アスリート特有の現象でもあるそうだ。
そうした烙印を押されると、コンプレックスを抱えて社会との距離を縮める努力を怠るようになる。改善が見られないので、周囲の扱いは苛烈になる。そうする間に逃げ癖が付き、職場を転々とする。相撲を失った後で世間に馴染めないというのは、あまりによく聞く話である。
だが、吐合さんはあまりに普通だった。その普通こそ、実は特別だということに気付かされた。やはり吐合さんは大丈夫だった。それは本当に嬉しいことだった。
嬉しいことだ。
嬉しいことなのだが…
私は結局、吐合さんを直視することは出来なかった。力士ではない吐合明文に、どこかで整理できていない自分が居た。髷を落としたあの現場で力士としての死を共有し、第二の人生の門出を祝った。あの時私は涙の一滴も出なかった。涙を誘発するために音楽の力も借りたが、それでも大丈夫だった。
私の中で全てが終わったはずだった。だが、それでも燻り続ける何かが残っていたのだ。そんな時私は、魔が差したようにこう考えた。
あの一番に勝っていたら、一体どうなっていたのか。
里山に勝っていたら。
澤井に勝っていたら。
吐合を喰った二人は、力士として駆け上がった。里山に至っては30歳を超えてから、人気力士に成長した。そして吐合は、元の位置に戻れずに引退した。
ただの一番ではない、運命の一番が有る。それは歯車が噛み合うきっかけにも、狂うきっかけにもなる。時が経てば経つほどに、歯車が狂った側からすると「運命の一番」での「もし」を考えてしまう。
現実の世界で折り合いを付けて生きる吐合さんを嬉しく思いながらも、それでも力士としての吐合の幻影を追い掛ける。今の吐合さんが立派ならそれでいいじゃないかと、自分に折り合いを付けようとするのだがやはりそれは折り合いを付けようとしているに過ぎない。
私にとって力士としての吐合は、それほど大きな存在だったのである。
生きている限り、「もし」など存在しない。どんなに不運で、どんなに理不尽に苛まれても、そこには今しかない。関取として活躍を続ける吐合さんは、結局パラレルワールドの住人に過ぎない。33歳の吐合さんは、土俵を降りて千葉で堅実に活きている吐合さんしか存在しないのである。
分かってはいるのだが、力士:吐合の大きさがそれを妨げる。恐らくその葛藤は暫く続くことだろう。本場所で豪栄道の、里山の活躍を目の当たりにすると、その想いを抱くことだと思う。引退というのはそれほど単純なことではないということを、大いに思い知らされた。
何しろこういう思い入れを抱いた力士の引退というのは初めてのことだ。一つ一つが発見であり、葛藤だ。
私は今日のとんかつの味を忘れることは無いだろう。
最高に旨かった。
だが、最高に苦いものでもあったのだから。
土俵から吐合の残り香が消え、そして名実共に料理人としての吐合さんになった時、あのとんかつを純粋に楽しめると思う。しかしそれが幸せなことは分からない。力士としての吐合の残像を追い掛けることは苦しいけど、楽しいことでもあるのだ。
◇お知らせ1◇
11月21日(土)16:00より、東京でオフ会を開催します。参加ご希望の方には詳細を連絡いたしますので、プロフィール欄のメールアドレスをご参照ください。なお、参加可能な人数には限りがありますので、お断りすることもございます。あらかじめご了承ください。
◇お知らせ2◇
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