正代と御嶽海。大卒エリートへの過大評価と過小評価の狭間で何を求めるべきか。
正代が今場所から幕内で相撲を取る。
大学2年生の頃にビッグタイトルも獲得している力士が、入門後負け越しも無く、更には十両を2場所で通過してここまで来た。番付運が悪く、実績の割に出世が少し遅れた感は有るが、ここまでは順調と言えるだろう。
「対戦したい力士が居ない」
「できればみんなと当たりたくない」
そんな言動は相撲界では異質のネガティブキャラとして報じられ、地位よりもキャラクターが先行している。キャラクターが浸透するのは良いことだ。その名前を聞いただけでキャラクターが想起される。そういうアスリートは貴重だからだ。否応無しにその取組は意識させられるし、土俵外でも話題になりやすい。相撲が世の中のメインストリームに有った時代ならばそういう要素は要らなかったが、今は違う。今必要なのは相撲を取ることもさることながら、相撲の額縁を超えることだと思うのである。
さて、正代についてはアマチュア相撲界の実力者から若手期待株という位置付けに変化しつつあるが、前述のようにキャラクターで語られることが多いことから、私は一つの事実に気付いた。
そう。
力士としての期待値が落ち着いてきたのである。
少し前は大卒力士が入門後に圧倒的な成績を残すと、メディアが大きく報じていた。常幸龍のデビューからの連勝記録や遠藤のデビュー3場所での幕内昇進がそれに該当する。記録面を考慮すると、確かにこれらは類を見ぬものだ。「史上最速」「連勝記録」という言葉には焚き付けるものが有る。
そしてそれを、過去の大卒エリートの怪物像と結び付けていたところも有る。
出島。
武双山。
そして、雅山。
常幸龍や遠藤の軌跡は、彼らのそれに近しいものだった。今考えてみると、そういう期待値で彼らを見てきたのではないかと思うのだ。だが彼らは今、大関はおろか三役にも定着できていないのが実情である。
我々は大卒で突出した実績の有る力士に対する期待値を知った。それはある意味良いことだと思う。過剰な期待は力士を潰すことにもなりかねないし、相撲と異なる部分のマイナス作用が減るからだ。
アマチュアタイトルを獲って角界入りする力士は、幕下以下は苦もなく通過する。そして、十両では2桁はおろか優勝に準ずる成績を挙げて幕内まで昇進する。幕内下位で定着して、そこから時間が掛かる。御嶽海が昇進してきた時も、今場所の正代の時も、「かつて見ぬ怪物に対する期待」というテンションの記事も報道も殆ど見ない。
我々は、知ったのだ。
幕内はそれほど甘いところではないことを。
大卒エリートも優れているが、幕内下位の力士もまた優れていることを。
相撲を知れば知るほど、全ての力士にストーリーが有ることを知る。期待の力士が敗れても、相手力士も優れているから、と納得する。そして、時に納得しようとする。相撲に対するリスペクトは、平衡感覚を産み出すのである。
大相撲は厳しい世界なのだ。幕内ともなれば、洋の東西を問わず年代別の怪物力士が集結する。そういう力士の対決なのだから、これまで通り通過できないのはある意味仕方が無いことだ。
だが、それでいいのか。
大卒エリートが負ける様を観て、その理由に納得する。そして気が付けば個性派に収まる。幕内中位から下位で定着し、たまに三役に登場する。自分の相撲で上位を相手に奮戦し、勝てば土俵が湧く。
本当に、それでいいのだろうか。
上を見れば外国人と中卒高卒叩き上げばかりだ。先行きが見えにくい世の中で、大学進学に舵を切るアマチュアエリートが多いにもかかわらず、だ。今年度の高校タイトルを独占した力士も、大学進学を決めている。人材は間違いなく集中している。つまり、大卒力士に相撲界の未来は懸かっているといっても過言では無いのである。
そういう実情だからこそ、幕内中位から下位での定着に納得するのは大卒エリート達に失礼とも言えるのかもしれない。彼らはまだやれるし、やらねばならない。幕内下位の力士の素晴らしさに想いを馳せながらも、一方で大卒エリートはそこを打開せねばならないということを認識せねばならない。
勿論大卒だからといって一様にそれを求めるべきではないと思う。力士によって状況は異なるからだ。しかし勝てる実績と形が有る力士に対しては、逆に求めねばならないとも思う。
大卒エリート達よ、奮起せよ。
個性派に留まらぬ活躍に期待したい。
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