「次の大関、誰よ?」の回答が見当たらぬ2016年。大関候補の若手も見えずベテランが躍進する中、大相撲はどのような時代を迎えるのか。
琴奨菊優勝で幕を閉じた、2016年初場所。
「日本出身力士」の優勝という、外国人力士ファンも「日本出身力士」ファンも蝕まれ続けた、懸案事項が一つ解決したことで皆救われたという話は前回の記事で書いたわけだが、その余韻は冷めることを知らないようだ。
デイリースポーツ以外の一面は琴奨菊。
情報番組にも琴奨菊。あと杉山邦博さん。
喋りがおぼつかない杉山さんにやきもきしながら、相撲ファンからしたら今更な「琴バウアー」という語感に何だか自分が滑ったようなむず痒い思いをする。しかしそれも、琴奨菊が優勝したからなのだ。今までは居心地の悪さを感じることさえも許されなかったのだから今日ぐらいはと思いながらも、それでも堪えられずにチャンネルを変える自分が居た。
また職場で琴バウアーについて振られて、作り笑いせざるを得ないのだろうか。少し気は重いが、それでも話題が出ることは嬉しいことだ。ついでに待ったした後の井筒親方の顔マネも準備しておけば、もう十分だろう。
さて何が十分なのかはよく分からないが、激動の15日間が終わり様々な意味で楽になった訳だ。「日本出身力士」の優勝という観点で考えなくて良いことがこれほど楽なこととは思わなかった。当面は論じられることが無いこの話題について、ふと考えたことが有る。
近い将来、同じ議論は為されないだろうか。
モンゴル人3人が横綱、大関が1人。しかもその中には歴代最多優勝記録を保持し、更にその記録を伸ばそうとする名横綱が含まれている。これはもう、「日本出身力士」の手落ちということも有るが、時代的背景からすると致し方ない部分も有ったことだと言えよう。
だとすればその先の時代になると、どのような変化が待っているのだろうか。そこで先日のUstream放送で話したことが思い出されるのである。
「次の大関、誰よ?」
番付表を見る。
三役、前頭。
今すぐという力士は見当たらない。
十両。
かつての稀勢の里や豪栄道のような力士は居ない。
幕下。
若くして番付を駆け上がるような、とてつもない勢いの有る力士は居ない。
とまぁ、このような状況なのである。
そしてこれは「日本出身力士」に限った話ではない。
そう。
外国人力士も同じなのである。
そして更に戦慄したことが有る。このハードルを三役定着というレベルに下げても、今のところ思い当たる力士が居ないことである。
遠藤や千代鳳といった「日本出身力士」も、大砂嵐や逸ノ城といった外国人力士も、その多くが怪我という問題に直面している。逸ノ城の場合は研究が進んだということと彼自身のパフォーマンスが著しく低下しているという問題も有る。いずれにしても、無限の可能性を持つ力士は今のところ無く、誰もが何かしらの問題を、それもかなり大きな問題を抱えているのである。
番付を駆け上がっているのは大卒エリート力士達だが、その後の成長曲線が過去数年で大分落ち着いているので、まだまだ予断は許さない。ここから先、幕内中位から上位総当たりラインが最も厳しい。
更にもう一つ大きな変化が有る。
そしてこれは、最近の大相撲のトレンドである。
30歳を超えても衰えぬ力士が増えてきているのだ。
当然衰えを隠せぬ者も居るが、持病の多寡や取組スタイルによってはピークを継続する力士も増えている。旭天鵬は言うに及ばず、最近の嘉風の躍進や一度十両に落ちた松鳳山の再浮上、そして安美錦の油断ならぬ相撲も健在である。
壊れる若手。
伸び悩む若手。
そして、衰えぬベテラン。
それどころか、更なるパワーアップを遂げるベテランも存在するのだ。かつての定規で相撲を観る次代は終わったのかもしれない。これまでは昇進の早さと出世の上限は連動しているというデータも存在していた。
だが、常識は壊されるために有る。
ベテランが更に躍進し、第二の嘉風が現れても私は驚かない。何故なら、嘉風が存在するからだ。そして、怪我をした若手が新たな相撲を身に付けて帰って来ても、私は驚かない。何故なら、栃ノ心が存在するからだ。
近い将来、大相撲はどのような時代を迎えるのか。
何が起きても、もう私は驚かない。
例えば、稀勢の里が横綱になったとしても。
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正代に期待。