稀勢の里は、麻薬だ。
年間最多勝。
準優勝12回。
大関通算勝率7割。
強いことなど知っている。どれだけその強さを目の当たりにしてきたことか。そしてその強さに明るい未来を見てきたことか。
どれだけと考えると、私は2ヶ月に一度は必ず夢を見ているのだと思う。そしてその夢は膨らむことはあっても、成就することはなかった。バッドエンドしかないストーリーなのではないかと思うほど、ご都合主義のように稀勢の里の物語はスキャンダラスに悲劇へと舵を切る。
こんな思いは二度としたくない。
もう、距離を置きながら接していこう。
そう思うのは当然のことだ。
今の稀勢の里について、ねじれた想いを抱かずに応援することは出来ない。それほどこれまでの悲劇の数々は我々の心を捻じ曲げてきた経緯がある。だが、不思議なほどそこから自分の心を奮い立たせて稀勢の里を見ているかというとそうでもない。
稀勢の里への期待は、ごく自然な形で膨らむのである。
頑張らなければ応援出来ないのであれば、心は離れていく。稀勢の里に関しては、真逆だ。頑張らずに気楽に観ようとすると、事件が起こる。そしてまた、稀勢の里に私は戻っている。
稀勢の里の超人性は持ち得ないが、凡人性であれば誰もが持ち得ている。だから私は以前「稀勢の里は俺たちであり、俺たちは稀勢の里である」と評したが、稀勢の里の中の自分がいるからこそ、稀勢の里への自己投影は熱を帯びる。
凡人が超人になるかもしれない過程を見て、せめて自分と異なる力士がハッピーエンドを迎えるのではないかと期待する。勝負所での失敗を目の当たりにし続けながら、私はさらにその想いを強めていた。
稀勢の里の中の俺達が俺達だからこそ変われるのであれば、それは究極の自己肯定だ。稀勢の里の中の俺達が何かを成し遂げるのは究極のエクスタシーだと思う。究極のエクスタシー故に、その麻薬性に取り憑かれる。
一度覚えたら、もう忘れることは出来ない。
稀勢の里は、麻薬だ。
普通ならもう、チャンスは巡ってこない。人生の中でチャンスは限られた回数しか巡ってこない。人によってはチャンスすら巡り会えない方も居るかもしれない。
だが、稀勢の里は何度となくチャンスに巡り会い、いつも失敗している。
重度の稀勢の里中毒者である私は、よせばいいのにそれでも期待している。期待するかしないかで揺れて、時には思いっきり期待する。そして、時には距離を置きながら見る。どちらでも落胆し、可能性を見せれば大喜びする。
そう。
結局どちらでも変わらないのだ。
単独トップに立った翌日に絶不調の琴奨菊に敗れた時、私はさすがに折れた。最近はすぐに折れるようになったように思う。折れるのは案外楽なのだ。だが、押し出されるように単独トップに返り咲いた時、折れながらも恐れながらも、稀勢の里に戻っていった。
稀勢の里の応援は覚悟がいると思っていたが、実はそうでもなかった。ふらふらしながら、どこか気にする。覚悟が無くとも首を突っ込んでしまっていて、ひどい目に遭う。
あと3日。
どこでバッドエンドに転じるのか。琴奨菊に敗れてからというもの、6時前が本当に辛い。
胃が痛い。
胸がキリキリする。
この時ばかりは、仕事が多忙で良かったと思う。
それでも、稀勢の里に期待している。ああ、言ってしまった。私はやはり、稀勢の里中毒者なのだ。
だがそんなことは、分かりきったことだ。
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1月22日は、全国の大相撲ファンが歓喜する日になる。なるだろう?なるかもしれない。やっぱり無理・・なのか。とにかく俺は応援する。
いつも楽しく拝見させていただいています。
なるほどなぁ、そういう見方もあるのか,,,等々、nihiljapkさんが大変な好角家であることがわかります。
しかし…稀勢の里のことになると、とんでもなく愚鈍になってしまう。記事の内容も屁理屈と矛盾だらけ。
でもうらやましいですね。愚鈍になってしまうほどの力士がいることは。もちろん皮肉ではありません。
自分が愚鈍になってしまうほど好きな力士は魁皇でしたが、nihiljapkさんの稀勢の里への想いには全く歯が立ちません。
日本人の相撲ファンは、みんな稀勢の里中毒ですね。
nihiljapkさん
わたしたちの気持ちを言葉にしてくださってありがとうございます。
自分の気持ちのすべてが書いてありました。もう何も言うことはありません。
しいて付け加えるとすれば、非常に個人的な思いになります。
こんなことを書いていいのかどうかわかりませんが、あえて書かせていただくと、私の息子と稀勢の里はよく似ている。
顔も雰囲気も。だから彼を見ているとわたしはいつも息子を思ってしまう。
稀勢の里が土俵で怪我をした場所、息子は受験に失敗した…。
過去40年ほど相撲を見続けましたが、これほど思い入れた力士はなかったです。
わたしは、リアルタイムで稀勢の里の相撲はほとんど見ません。いや「見れない」のです。
怖くて…。
心臓が張り裂けそうになりながらネットで結果を見る。
勝ったときだけテレビの録画を見る、もちろんニュースも次の日の新聞も。
負けたときは、何も見ないで録画は消去。その日はまるで「お通夜」です。
何年こんなことを続けないといけないのか…。
nihiljapkさんが「稀勢の里は麻薬」と言われたように、わたしも続けます。
「稀勢の里は人生そのものだ」と。
仮に稀勢の里が悲願を達成したとき、ものすごい歓喜の嵐がわたし(たち)を待ち受けています。
稀勢の里の自らの悲願成就で、わたしたちが得るものは言葉にならないほど大きい。
一方、彼の悲願が成就しないまま終わってしまったなら、わたしたちは稀勢の里から何を得るのか。
そう考えたとき、「稀勢の里は人生だ」とつい思ってしまうのです。
人生とは思い通りになるものではない。
自分の思い通りになる人はほんの一握り。
でもやっぱり、あきらめきれないし、成功する可能性があるからこそ、そこに夢を託す。
まさに「麻薬」のような-。
残り3日がわたしは苦しい。
まさに 言いえて妙ですね。あえて言うなら
稀勢の里 は 阪神タイガースのようなもの。
何度裏切られても ターガースファンは ファン
をやめない。そんなターガースでも たまに
優勝するのだから 稀勢の里も可能だと思って
しまう。今日 13日目 豪栄道が 休場し
稀勢の里に 風が吹いてきたと思うのは 私
だけだろうか。
私ももう10年以上稀勢の里オタクを続けています。この2年間は、今日こそ絶対に勝って欲しいという気持ちと裏腹に、やっぱり「今日も駄目かな!」と取り組みの前から逃げ道を作っていたファンでありました。
その稀勢の里の前に何時も立ちはだかっていたのが白鴎を筆頭にしたモンゴルの横綱達でした。ここ数場所は白鴎を含めたモンゴルの横綱達の強さに陰りが見え始めました。今場所白鴎を破って優勝すれば今までの自信なさげの稀勢の里が一変して、7月場所に横綱昇進、その後は稀代の名横綱として一世を風靡してくれるものと信じています。稀勢の里を横綱にする会の会長、北の富士(現在病気療養中)が元気なうちにぜひ実現して欲しと考えています。