敢闘精神アンケートは、もう要らない。

大阪場所も、10日目が終わった。
場所が始まると、時間が経つのが本当に早い。あれほど待ちわびた本場所も、取組の結果に一喜一憂し、考えを整理して記事を書いていると、もう場所が終わっている。その繰り返しだ。
早いものでブログを書き始めてから6年近く経過した。2ヶ月に一度こういう熱量で相撲を観ていて、それでも私は相撲を楽しんでいる。飽きもせずに。
これは不思議なことだ。これほど同じように相撲を観ていれば、したり顔で「〜年〜場所の方が素晴らしかった」とか、「今の相撲は〜」のような感想を抱きそうなものだ。何故なら、経験を積み重ねると、過去と比較することは避けられないからだ。
どこかで過去との比較をしながらも、私は今の相撲にケチをつけずに楽しんでいる。それは、この短い6年を比較しても、今の相撲の水準は高いからである。そして、必ず楽しい相撲が見られるからである。
良いことばかりが起きるわけではない。取組の結果に落胆することもある。いや、落胆することの方が多いかもしれない。私が望む結果など、得られる時の方が圧倒的に少ないのだ。
つまり、歓喜も落胆も、どちらもエンターテイメントなのである。
だが、結果の全てをエンターテイメントたらしめているのは何故か。それは、土俵で行われている勝負が、真剣勝負だからだ。真剣勝負だからこそ、ドラマが生まれる。真剣勝負だからこそ、悔しい結果も嬉しい結果も受け入れざるを得ない。
そう。
真剣勝負が紡ぐ圧倒的現実の前に、観客は平伏すしかないのである。
例の問題が起きた後の6年間は、そういう闘いが行われて続けてきた。だから私は一つ言いたいことがある。敢闘精神溢れる力士のアンケートを、そろそろやめて欲しいということだ。
その理由は大きく分けて二つある。
まず一つ目は、今の大相撲を観ている方であれば分かると思うが、敢闘精神の無い力士など存在しないということだ。むしろ、敢闘精神の無い力士が居れば、それは事件化することになる。服部桜の一件があれほど大きな騒動に発展したのは、つまりそういうことだ。
誰もが敢闘精神を持って闘っているのであれば、アンケートを取る意味はどこにあるか。あの頃は自らを戒めるためにも、力士達を意識づけるためにも必要なことだったのかもしれない。だから私は、存在そのものを否定しない。むしろ、大相撲復権のために通るべき道だったように思う。
敢闘精神を持って闘うことを推奨するために、あの時代に戻らないようにするために始まったことなのだから、意識づけが無ければまた逆戻りしてしまうのではないか。そう考える方も居るかもしれない。だがそのアンケートの位置付けこそ、私は問題が有ると考えている。
第二の理由は、アンケートが形骸化しているということである。
考えて欲しい。敢闘精神溢れる力士は、本当にこのアンケートで適切に評価されているのだろうか。私にはそうは思えない。
アンケートの上位に居る力士は、上位を倒した力士か、人気力士か、激しい相撲を取った力士だ。上位にはいつも遠藤や嘉風、稀勢の里が居る。彼らだけを評価することに、一体何の意味があるのだろうか。真に規範とすべき力士は、本当に彼らだけなのだろうか。例えば、ほぼ上位に顔を出さない白鵬は敢闘精神が無いのだろうか。
私は違うと思う。
敢闘精神は確かに必要だ。だが、規範とすべき力士を評価するための方法は、別に存在するのである。もし本当にあの頃に逆戻りしないために、敢闘精神に対する意識づけをしたいのであれば、今の方法では意味があまり無いことは確かだ。
個人的にはもうあの頃とは異なるのだから、敢闘精神への意識づけをするための施策そのものをやめて良いと思う。ただ、それでも必要だと考えるのであれば、次のステップを考える時期に来ていると私は思う。
相撲協会が自らアンケートを止めるという選択はし難いと思う。あの頃のことを忘れたかのように捉えられる可能性があるからだ。だからこそ、この施策をより効果的なものにするためにも、もしくは発展的解消をするためにも、この提案は外部の者がすべきことだと思う。
力士達が良い相撲を取るために、八角理事長が言うところの「土俵の充実」を実現するために、次の一手を考える時期は今ではないだろうか。
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