【番外編】高校相撲の魅力。3

礼に始まり、礼に終わるのが
日本の「道」と呼ばれる伝統的競技の美徳。
勝っても負けても相手が居るからこその
自分であることを十分に理解し、
高めてくれる相手や環境に対して感謝の心を忘れない。
しかし、ここから相手や感謝という
道の道たる要素をそっくりそのまま取り去ると
どういうことになるのか?
そう。
勝つことに徹底的に特化した、
エゴイズム丸出しの単なる競技に成下がるのである。
前回紹介したサポーターというのは
正に競技化した相撲を凝縮した姿と言えるだろう。
だが、これはあくまでも形だけに過ぎない。
賢明な読者の方はお気づきだと思うが、
一つ私はここまで意識的に避けている部分がある。


何といっても私はここまで一切
相撲のことを説明していないのだ。
相撲のことを話さずに、ここまで
大相撲とアマチュア相撲の違いについて
外郭だけで伝えてきたわけだが、
やはりその決定的な違いは相撲そのものに
現れることになる。
精神性は既に外郭に現れているのかもしれない。
「人は見た目じゃない」
なんて言うのは既に見た目がロクでもない連中で、
しかも誤解されても見た目じゃないはずの見た目に
こだわって、んで更に泥沼に嵌る。
結局見た目通りの結果が待ち受けるのだ。
さて、ではこの道の道たる所以を
かなぐり捨てた彼らの見た目が行き着く先は
一体どこに行くのだろうか?
答えは、すぐに出た。
行司ではない主審が
両者に立ち会いを促す。
だが、両者共に仕切りはするのだが、
一向に手を着かない。
後もう少しで手を着く、という
ギリギリのラインで手を着かない。
それだけではない。
手を着くと見せ掛けるフェイントを
手だけでなく目線や雰囲気からも出して、
どうにか相手を出し抜こうとする。
お互い手を着かないので、
なかなか対戦が始まらない。
当人同士も焦れてくる。
だが、悲しいかな、ここで一番焦れているのは
観客なのである。
少なくとも私は大相撲目線で
高校相撲を見ているので、
言い方を考えなければこのコスいやり取りに
命を掛けるやり方は不快でしかないのである。
彼らの立ち会いには、人間の悪意しか感じない。
それは何処かで見たことがあると思って
考えてみると、ブラジル人のサッカー選手が
大げさに足を痛がったり時間稼ぎをしている行為に
そっくりそのまま符合するのである。
当初サッカーが日本で受け入れられなかったのは
こうした武士道精神とは全くかけ離れた、
生活のために相手を出し抜こうとする彼らの
精神性に共感しないからであった。
しかし、まさか私はこのような反感を
高校相撲を見ていて抱くことになろうとは
夢にも思わなかった。
とはいえ、私はここまで勝利に特化して
突き詰めた日本固有の競技を知らない。
何がそこまで勝利に焚きつけるのか?
何がそこまで反則スレスレの手にまで及ばせるのか?
それは判らない。
日本人にこうした部分が無いのは
ハングリー精神が足りないからであると
貧しい国のサッカー選手を引き合いによく言われてきた。
だが、よもや日本人が誰よりも汚い行為に
手を染めようとは思いも寄らない意外な展開である。
実に興味深いことではないか。
そして私は引き続き取組に目をやった。

【番外編】高校相撲の魅力。3” に対して1件のコメントがあります。

  1. 亀山巡査 より:

    アマチュア相撲の立ち合いのコス辛さ(悪意のある駆け引き)が、相撲の面白さを半減どころか、すべて帳消しにしている元凶であること、おっしゃるとおり。
    それにしても、管理人さんは話の切り口が新鮮かつ巧み。
    まるで、超一流芸人のフット後藤と毒舌有吉をたして二で割ったようです。もちろん、コレ、褒め言葉です。
    今後を期待してますよ。

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