野球賭博問題で揺れる巨人に求められるのは、放駒親方と白鵬である。問われるのは「もういいじゃないか」まで持ち込む処遇と、エンターテイメントとしての充実である。

巨人の野球賭博問題が大きく報じられている。
具体的に関与した選手の名前と行為が明らかになり、彼らと球団の一挙手一投足が注目されている。高橋由伸への監督就任オファーについても、この問題との関連性を考えれば自然なことなのかもしれない。
40歳という若さ。
精悍なキャラクター。
慶応大学時代に上下関係を撤廃した実績。
今の問題からの決別、そして新たな巨人の船出ということを考えたときに、これほどうってつけの人材は他に無いのではないかと思う。ここで江川卓という選択をしたならばこれとは全く正反対の判断とも言えるので、この二人が監督候補として名前が挙がったことはある意味とても興味深いことでもあるのだが、その話は別の機会にしたい。
だが、監督を変えたところで問題が瞬時に解決できるものではないし、問題は問題として取り組まねばならない。そして、失った信頼を取り戻すためにも相応の努力が必要であることは間違いない。そう断言できるのは大相撲が数年前に全く同じ問題に直面し、痛みと苦しみを経験したからこそである。
野球賭博問題というトピックについて何も感じない相撲ファンが居るとすれば、近年の相撲ブーム以降の新規ファンであることは間違いない。あの問題はそれほど大きな爪跡を残している。そしてそれは今も尚、トラウマのように残り続けているのである。
事実関係やその是非についてはニュースサイトなどを参照していただければと思うのだが、今回考えてみたいのは起きたことではなく、その後のことだ。つまり、どのように信頼を回復していくのか。その1点に絞っていきたい。
結論から言うと、信頼の回復には大きく分けて二つの取組が必要となる。
ひとつは問題の処理であり、もうひとつはサービスの充実である。今振り返ると、大相撲はこの二つを実行するのに最高の環境が整っていた。前者では放駒親方、後者では白鵬という重要人物が居たからだ。
ごく単純に言うと問題が起きた時、傍観者に納得してもらうためには「もういいじゃないか」にまで持ち込まねばならない。その問題に対して筋道を通すか否かというのは方法論のひとつであって、必須条件ではない。筋が通っているか否かというのは人によって感じ方が異なる上に、伝わる情報はマスコミによってバイアスが掛かるからだ。例えばある問題に対して社内規定に沿って対処したとする。もしくは、法律に沿って対処したとする。それでも「軽い」と言う人は後を絶たない。むしろ社内規定や法律に対して疑問を呈することすら起きてしまう。
「もういいじゃないか」にするためには、目に見える形で痛みを共有せねばならないのである。放駒親方がしたのは、つまりそういうことだったのだ。
相手が身内であっても、断固たる措置を取った。大相撲は狭い世界だ。力士はまだしも、親方衆であれば同じ釜の飯を食った仲だ。苦楽を共にし、家族の顔も分かる。だから、そういう決断をした時に誰がどのような顔をするか想像出来てしまうのである。言い分を聞けば、同情するところも有る。「知らなかった」という言葉が事実かもしれない。仲間だからこそ、そういうことが突き刺さるのだ。
相撲協会のトップは、元力士の親方だ。顔が見える相手に対して、降格や謹慎、果ては解雇せねばならない。これを躊躇わずに出来るのは、相手の痛みに余程鈍感か、それとも痛みを真正面から受け止められる強い人物だけである。放駒親方が行ったのは、実に難しいことだった。余談だが私が一番よく知っている元力士は、この問題で解雇処分に遭った方だ。
放駒親方の処分が適切だったかと言えば、処分を受けながらも復帰が許された蒼国来の事例も有るので全て肯定できるものではない。処分を受けた中には放駒親方を恨んでいる方も居るかもしれないし、蒼国来のような方が他にも居たかもしれない。より適切な対応が有ったのではないかと思う。
だが我々は放駒親方の断行を目撃し、その結果、見るも無残なスカスカの番付表が出来上がってしまった。これにはさすがに言葉を失った。それでも処分に不満を口にする方も存在したが、そこからの論点はむしろ客が入らないことへとシフトした。ある程度は「もういいじゃないか」にまで到達したのである。
そこから先は、相撲が解決する問題だ。
相撲が楽しければこの問題を口にするのが野暮になるし、逆に相撲が大したこと無ければ永久にこの問題を持ち出されてしまう。だからこそ、問題に対する対応は必要最低条件であり、それ以上に重要だったのは残された力士達だった。ある意味残らなかった方が楽だったのかもしれない。それほど大相撲は当時偏見との戦いを余儀なくされた。
大相撲にとって幸運だったのは、この大変な時代に歴代最高の横綱を擁していたことだ。
歴代最高の実績を残した白鵬が果たすべき役割は、最高の相撲を見せたことも有るが、それ以上に大きかったのは最高の人間として振舞うことだった。その世界でトップに立てば、悪いことを言える人間などそうは居ない。そういう中で自分を律し続けて土俵の上でも土俵の外でも求められる全てを期待値以上で実行した。白鵬の大きさというのは数字に見える実績だけではない。この混乱極まった時代に、ブレずに最高の横綱像を体現したことに有る。
マスコミも世間も、白鵬を見ていた。少しでもズレが生じたとしたら、袋叩きだったことは間違いない。だが白鵬はそれをさせなかった。白鵬はそれをさせないだけの力士であり、人物だったのである。
時の大横綱達は大抵、バッシングの対象に成る。朝青龍はともかく、貴乃花は洗脳騒動に家族間の確執、北の湖は強いことそのものが批判の対象だった。当時の白鵬が特筆すべきなのは、全てに有無を言わせぬ存在だったことである。
ただ、当然白鵬だけが素晴らしかっただけではない。事件後の大相撲は、明らかに品質が変わった。ファンサービスや力士との距離ということも人気回復の一因として挙げられるが、最も重要なのは相撲が面白いこと。この一点に尽きる。土俵外で努力が実るのは、相撲が魅力的であることが前提条件だ。
最重要人物は白鵬だ。だが、誰がヒーローかといえば、あの問題以降土俵に立ち続けた力士全員なのだ。そういうことが巨人にも求められているのである。巨人に放駒親方は居るのか。白鵬は居るのか。そして、選手達はあの時の力士に成れるのか。今問われているのは、そういうことなのである。
高橋由伸は、世間を「もういいじゃないか」と言わしめる監督なのだろうか。兼任コーチとして1年しか経験の無い選手にそれを求めるのは困難なことだ。それほどこの問題は根深い。立ち直るまでに数年を要した姿を目撃してきた立場だからこそそれは言えることだ。
巨人を取り巻く全てが、これからは問われている。
大相撲は幸運にも乗り越えた。
では巨人はどうなのか?
この道はハッキリ言って二度と通りたくもない、振り返りたくもない茨の道だ。黒歴史とはこのことだ。闇が深ければ深いほど人は注目する。逃げることは許されない。
「巨人 大鵬 卵焼き」の縁として、強い巨人に期待したい。
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