琴奨菊の相手は自分自身ではなく、史上最高の豊ノ島だった。

出足は悪くなかった。
押し勝ったのは琴奨菊だったのだから。今場所好調な立合を、この相撲でも見せることは出来た。だが、あくまでも悪くなかったという次元だった。
一気に持って行くところまでには至らず、身体を開いて後退するところを追撃するも、前への意識が強いせいか態勢が低い。展開しながらのとったりをもらい、土俵に落ちた。
悪くはない一番だったと思う。
今場所の琴奨菊の相撲は取れていた。
ただ松鳳山戦で見せたような、相手の引きにも動じずに密着して押し切るような、そういう凄味は無かった。一番充実していた頃と比較すると、少し出足が良くなかった。しかしそれは、高い次元の話である。
15日有れば、全てが会心の相撲という訳ではない。柔道の世界大会のように一日で限られた対戦相手との試合をこなす競技であれば、その日のコンディションが大きく左右するのだが、相撲は違う。
15日という長丁場。
そして、異なる対戦相手。
更には星勘定というメンタル要素。
勢いだけで押し切れない要素がズラリと揃っているのである。だから、良くない流れになった際の対処が重要なのだ。
13日目。
好調の平幕力士との対戦。
そして、昨日の出足。
本来であれば、それでも琴奨菊が勝つ可能性が極めて高い一番だった。あれが白鵬戦や日馬富士戦であれば、同じ轍を踏んでいたとは思う。ただ、この極限状態に於いて見せたパフォーマンスの中では責められないレベルではあった。
琴奨菊最大の不運。
それは、対戦相手が豊ノ島だったことだ。
琴奨菊の出足を受けても、自分の間合いを保つ。更に、受け流すように体を展開する。前に出てきた琴奨菊の隙を逃さず、腕を取る。琴奨菊にも良くない部分は有った。だが、この相撲でパーフェクトだったのは豊ノ島だったのだ。
相撲というのは対戦相手が居て成立する競技だ。2人が最悪のパフォーマンスであってもどちらかが勝ち、どちらかが敗れる。逆もまた真なりで、2人が互いに高いパフォーマンスを見せてもどちらかが勝ち、どちらかが敗れる。
何という不運だろうか。
琴奨菊視点で言えば、これは不幸という次元だと思う。
豊ノ島が素晴らしいのは、この相撲が無欲の勝利だったことではない。
そう。
琴奨菊と同じプレッシャーを抱える中でのものだったことだ。
日本人力士の弱さについて、精神面を指摘する声は大きい。優勝争いに残った終盤戦で、有り得ないミスを連発する。そして、モンゴル人力士に屈する。こういう光景を、この10年何度となく見続けてきた。2敗の豊ノ島も、同じくプレッシャーと闘っていた。この日琴奨菊が潰されかけたのと同じ、凶悪なそれとである。
これがラストチャンスかもしれない。しかも6年前に一度、豊ノ島はチャンスを逃している。是が非でもモノにしたい。それはここまで豊ノ島を動かすモチベーションだったことだろう。
だがそのモチベーション故に、夢を目前にすると恐怖に駆られる。殊更に琴奨菊に対する期待が語られる中で、別の想いを抱くのも自然なことだ。自分の相撲が取れない条件が整い過ぎる程整っていたのは、豊ノ島も同じだったのである。
そんな豊ノ島が、あまりに素晴らしい相撲を取った。琴奨菊は自分自身とも戦っていたが、最大の敵はこの日ばかりは豊ノ島だったのである。琴奨菊は、史上最高の豊ノ島に敗れたのだ。
二人の日本人力士は、自分との闘いに勝っていた。
だが、勝者は一人だった。
そういう取組だったのではないかと私は思うのである。
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