高見盛の引退から、超個性派力士誕生の可否を考える。

遅まきながら、高見盛の引退について。
高見盛が引退し、近頃紙面を賑わせている。
親方になったのだから、今度は嫁取りとか
自販機を相手に鉄砲をしたという類の高見盛伝説であるとか
野球もサッカーもオフであることも手伝って
連日「高見盛盛」ともいうべき現象が起きている。
相撲を見たことが有る人も、普段は見ない人も
等しく知っている存在だからこそ
こうしたニュースは成立している。
強さに対する尊敬や相撲そのものに対する諸々の理解が
薄らいでいる今、力士がこれだけの知名度を誇るということ自体
異例中の異例とも言うべき事態なのだが、それというのも当然
高見盛の稀有なパーソナリティに起因している。
相撲に真摯過ぎるが為に周りが見えなくなるほど
自らに気合を入れる。
社会生活を既にかなりの期間営んでいるにもかかわらず
どこからどう見ても純粋過ぎる、
姿形は大人でありながら子供のような純朴さを
そのまま継承したキャラクター。
そう。
このような人物は他に類を見ないのだ。


相撲ファンとしては残念ではあるが、
彼の人気というのは力士としての人気ではなく、
つまりは彼の特殊な人物像故の人気だということである。
だからこそ高見盛は強い・弱いを超越し、
いわゆる「ナンバーワンよりオンリーワン」的な
ポジションを獲得した。
だが忘れてはいけないのは、
高見盛は決して「ナンバーワンよりオンリーワン」
を目指したのではなく、彼に出来るベストを尽くした結果
オンリーワンたる地位を獲得したということである。
ピラミッドの頂点に立つことから降りて
ニッチな重要に応えようとした結果なのではない。
そこに高見盛の価値が有る。
日々ベストを尽くし、自分の相撲を磨き、
誠実に生きてきた証が高見盛なのである。
それが見た目にはタレント的に面白いかもしれない。
そして、いわゆる一般的な感覚からすれば
「高見盛伝説」という形で捉えられるかもしれない。
図らずもほつれてしまうからこそ、
高見盛にはアイドル的な魅力が生まれる。
アイドルの魅力は
「完成度の高い中で生身の女の子が見せるほつれ」
であるという話は以前紹介したが、
土俵に上がっても、土俵から降りてもほつれ続ける
高見盛の場合はいわゆるアイドルの定義とは異なる。
このようなアスリートが過去に存在しただろうか?
私にはあまり記憶に無い。
この愛すべき力士を失うことは、
相撲界の大いなる損失であると私は思う。
実力者であれば、実力を磨くことによって
後継者は誕生する。
だが、個性というのは実力に加えてその人の
人間性が伴って初めて成立する。
相撲界の持つ、閉鎖されたムラ社会としての構造が
究極に純朴な高見盛を生み出したのだから、
第二の彼を生み出さないまでも、
世間の常識とは異なるキャラクターを生み出す
土壌は有ると言えよう。
一般社会とは異なる空間が生み出す、非日常。
高見盛とは、異空間たる相撲界が生み出した
奇跡のような存在だった。
今後、相撲界はどのような個性を生み出すのか。
高見盛の引退を機に、また一つの興味が生まれた。

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