三段目力士 吐合が、自らの限界に挑む価値とは?
幕下力士改め、三段目力士 吐合。
1年前は幕下2枚目で十両を賭けて闘っていたのだが、
6場所連続負け越しを経て、遂に三段目に転落。
幕下付け出しデビューから膝の大怪我を負い、
十両に上がるどころか番付外に転落し、
そこから地道なリハビリとスタイルの見直しを図り、
ようやく掴んだ幕下2枚目からの転落。
三段目ともなると番付をあと60は
上げなければ十両には成れない。
一体何場所勝ち越せば良いのか。
そのうえ負け越しは極力避けなければならない。
30歳という年齢からも力士としての死、
引退という言葉も現実味を帯びてくる。
限界までチャレンジし続ける、
サッカーのカズや野球の山本昌のような
美学も有る。
しかし、それはかつて黄金時代を築いたからこその
美学である。
かつてのヒーローが、泥だらけになりながら
全てをかなぐり捨てて純粋に競技に打ち込む姿勢に
我々は共感する。
全てを手に入れた者が、地位も名誉も失いながらも
最後には自分がやりたいことを可能性が有る限り続ける
というところにドラマ性を感じて応援しているのだ。
だが、吐合の場合は違う。
残念なことではあるが、ほぼ全ての人が彼のことを知らない。
彼が引退しても誰も気づかないし、
気付いたとしても、引退という事実を気にも留めないだろう。
世に出ない限り、つまり十両に昇進しない限りは
どんなドラマが有ろうとも誰にも知られること無く
誰にも影響を与えることも無く消えていく。
厳しいようだが、それが幕下以下の力士の定めなのである。
終わっていないが、始まってもいない。
それが、吐合の現状だ。
誰も知らないところで繰り広げられる、
名も知らぬ力士達の死闘。
成し遂げていないからこそ素晴らしい取組が続くが、
だからこそそこに誰も勝ちを見出さない。
せめて私だけは、彼らの死に水を取ろうと思う。