幻想から現実へ。連敗中の遠藤が見せた初日は、リアルの遠藤を伝える極上のドキュメンタリー映像である。
遠藤は注目度が高い反面で、難しい力士だと思う。
遠藤が登場したての頃は、十両での14勝という実績とセンス抜群の取口から無限の可能性を期待されたわけだが、2年が経過すると、当初の期待とは異なる立ち位置に存在している。
当時の報道のテンションを考えると既に三役には定着しており、そして今はもう大関獲りという程の期待を受けていた。稀勢の里の綱取り失敗後、センセーショナルな登場をした遠藤はその注目を引き継ぐ形で時代の寵児となった。
決して遠藤は期待外れだったわけではない。横綱にも勝っているし、大関とだってやれる目途は立っている。突き放されながらも前みつを取る形だけでなく自ら突き放しながら形を作るという取口も覚え、上位力士も手を焼く存在に成りつつある。無限の可能性という訳ではないが、着実に前進して確かな地位を築きつつある。成長曲線は緩やかに、しかし確実に上昇カーブを描いている。
ただ、反面で今の遠藤は様々な意味で分かりにくい力士でも有る。
男前ではあるが、そこだけで推せるほどではない。素晴らしい相撲センスは有るが、上位に定着出来ていない。スマートではあるが、個性派として消化するにはスケールが有る。つまり、現状突出したポイントの無い力士なのだ。
となると、期待の若手である遠藤が期待を高めるにはもう一つのアプローチが必要になるのだが、実は遠藤に足りないのはこの部分ではないかと思う。
そう。
ドキュメンタリーである。
足りない部分を補いながら成長していく姿は、確かに人の心を掴む。だが、その克服する過程というのは土俵上だけでは非常に分かりにくい。取口の変化だけでその裏で何が有ったか理解できるほど、相撲というのは単純な競技ではないからだ。そこには必ず苦労が有る。そして、カッコ悪い遠藤が居る。そうした姿をドキュメンタリーを共有することで、我々は遠藤に対する想いを深める。
この話をするうえで下敷きとして理解せねばならないことが有る。90年代からスターに求められる姿は変化してきたということだ。石原裕次郎や長嶋茂雄が昭和のスターとして君臨してきた頃、スターは幻想を売ることが仕事だった。難しいことを簡単にやってのけ、人々の憧れに成ることが彼らの価値だった。
だが、そうした姿が幻想であることを時代と共に人は知ることになる。写真週刊誌の報道などによって彼らが人間であり、メディア越しに伝わる姿はあくまでも幻想であることを多くの日本人が知ることになった。幻想は幻想に過ぎないことを知り、彼らはスターに対する憧憬の念を捨てざるを得なくなった。そこで入れ替わるように登場したのが、ドキュメンタリーである。
幻想ではなく、リアル。
スターではなく、一人の人間。
華々しい活躍の裏側に存在するものをメディア越しに知ることによって、我々はスターに対する想いを強める。幻想からではなく、共感から憧憬を産むということである。Numberの創刊以降スポーツライティングが急速に普及し、裏側を知ることが競技やアスリートを知ることに繋がった。
遠藤が当初期待されたのは、メディアによる幻想の部分が大きかったことに起因している。底知れぬ成績を残し、底知れぬ故にメディアは遠藤に対する幻想を紡いだ。つまりは、昭和のスター的なアプローチによる人気だったわけである。
しかし、遠藤のそれが幻想に過ぎないことを大半のファンは知っていた。メディアの発信する情報に対して一歩引いて見ていることもまた、21世紀のリアルだからである。だから、遠藤に対する一般知名度は爆発的に向上したものの、すぐに大関・横綱という期待はメディアが推す程感じられなかったし、何より遠藤ファンを名乗る相撲ファンをあまり観たことが無かった。
確かに遠藤に密着した番組や記事は存在していた。だが、遠藤が何者なのか、何に苦悩しているのか、心を鷲掴みにするようなエピソードが語られることは今まで無かった。どちらかと言えば薄味の、その日常や嗜好、本場所での姿が主だったわけである。これはアイドル的には正解だが、スポーツヒーローとしては物足りない。
要するに、我々は遠藤を知らなかったのだ。
だが遂に、遠藤は自らドキュメンタリーを創り上げた。
それが、今回の強行出場である。
本日のスポーツニッポンの報道によると、今場所強行出場を決めたのは遠藤の意志なのだという。後援会が止め、親方も止めた。だが、遠藤は自らの意志で土俵に立つことを決意した。じっくり怪我を治すのではなく、土俵に立ち続ける決意。その胸に去来する想いは我々には今のところ分からない。遠藤だけが知っている。何が正解なのかは分からない。裏目に出ることだって想像できる。
だが遠藤は自ら責任を持って、出るという意志を示した。これなのだ。我々は遠藤がこのような強烈な意志を見せる力士であることを知らなかった。
あのスマートな遠藤が、もがき苦しみ、それでも土俵に立ち続ける。その姿は格好の良いものではない。だが、それでも土俵に立つことは譲らない。精彩を欠き、批判を受けながらも遠藤はその姿勢を変えなかった。
そして遂に昨日、その生き様が一つの光を見出す。
相手が全敗だったということはこの際関係無い。厳しい攻めを受けても落ちず、前に向かい、ただひたすらに我武者羅に、初日のために邁進する。こういう姿勢が見たかったのである。
遠藤は幻想の世界から、遂に現実世界に降りてきた。その姿は泥臭かったが、確かにカッコ良かった。だからこそ、国技館に駆け付けた観衆はこの日一番の歓声で遠藤を迎えたのだと思う。その取組後に咽び泣くファンの姿に私は驚いたが、嬉しくもあった。
恐らくこの日の勝利が遠藤を変えると私は思う。
何故なら、自らの意志を貫いた末の勝利だからだ。
今はダメでも、この経験が活きる時が来る。
遠藤の夏場所出場は、そういうドキュメンタリー映像なのである。
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