大相撲でのコールは、約款上禁止行為である。観戦マナーに関する諸問題が文化として継承されないためにも、着手すべきは今である理由とは?
昨日の白鵬豪栄道戦で、やはりコールが起きた。
豪栄道が土俵に立つと、かなりの割合でコールが起こる。そして、多くのファンの方がこの行為を批判する。だが、批判しても批判しても、この行為は相変わらず続いている。残念なことに、コールに対して力士も心象を害することも有る。その結果、土俵上でエキサイトすることも有る。当ブログでも何度か扱っている「コール」について、今一度考えてみたいと思う。
大相撲にコールというのは、20年あまり前に寺尾コールを中継で観たのが初めてで、九州場所の魁皇で定着。近年では豪栄道・稀勢の里・勢・遠藤が登場すると発生しやすいように思う。毎回ではないのだが、特に多いのは応援団が居る時ではないかと思う。
だが、ご存知の方も多いと思うが念のため今回も冒頭で説明しておくと、大相撲協会の観戦約款に於いて、コールを始めとする集団応援は
禁止事項として定義されているのである。そこで、この記述を改めて紹介したい。
「第3章 観戦」の「第9条(応援行為)」の第1項「何人も、主催者の許可を得ることなく、相撲競技観戦に際し、以下の各号の応援行為をしてはならない。」の中に「3. 観客を組織化しまたは観客の応援を統率して行われる集団による応援」と明記されているのだ。
相撲協会の観戦約款はこちら。
あと、観戦約款を画像として保存したので、こちらも参照頂きたい。
これが有るにもかかわらずコールがまかり通ってしまっている。そして、コールを良きこととして続けてしまっている。その実情がかなり多数のファンの感情を掻き毟る結果となっている。
だが、コールが約款に抵触しているのに彼らがそれを無視しているということを怒っているのではなく、むしろ相撲の粋から外れる行為だから、ということが根底に有るのではないかと思う。苛立つ動機に対して約款という確かな根拠を背景として批判しているように感じるのだ。
日本文化の中で集団応援というのはあまり記憶に無い。その粋を守るための手段として、観戦約款の条文に取り入れたのではないかと思う。力士の名前を叫ぶというのは、歌舞伎でも似たようなシチュエーションが有るし、ここまでであれば相撲の枠内で収まる応援方法として成立する。ただ、あの独特の雰囲気の中でコールが入ると異物感が有るのは否めない。コールは比較的新しいものではあるが、常態化しているとはいえ毎回狼狽してしまうし、何よりもコールされていない側の力士の心証を想ってしまう。
例えば白鵬はあのコールが起こるとかなり感情的な取口になる。勿論感情的な取口そのものに対して私はどんな事情が有ろうとも反対という立場は変わらない。ただ、苛立つ気持ちは分かる。何故なら、あからさまに相手側の勝利を集団で願われるのだ。そして、その行為は禁じられているのだ。
これは想像なのだが、恐らく彼らの中でコールが約款上禁止行為だと知っている方はかなりの少数派ではないかと思う。仮に知っているとしても、今の状態が続いていれば私は彼らを責める気にはなれない。恐らく私が約款のことを指摘しても、その声が届くことは無いだろう。何故なら、コールを諌める者が誰も居ないからである。
これは応援団を組んでツアーに行かれた方の話なのだが、非常に重要な話なので是非心に留めて頂きたい。
この方達は観戦マナーというものに対して非常によく考えていて、自分達が相撲の門外漢だということを理解しており且つ自分達のフィールドでも時にマナー違反が発生することを懸念して、事前にどのような応援がアウトでセーフかを相撲協会の担当者に確認しているそうなのだ。そして相撲協会の担当者から言われたことが、「コールはOK」ということだったそうなのである。
ここまで応援に対して留意している彼らが、そして観戦マナーは極めて最高な彼らがここまで事前に確認した上で、コールを行っている。しかもその動機が、協会担当者が許可しているからという動機で。つまり、この問題の根本的な原因は協会担当者に有ると言っていい。
コールする側は、止められないから続けている。他の観客は、約款上禁止されている上に無粋だからコールを嫌っている。そして、力士はコールに対して当惑している。そんな三者を目の当たりにしながら、相撲協会は今のところこの問題に着手していない。
確かに協会の気持ちも分からなくもない。4年前にどん底を経験し、今の相撲人気が水物であることも想定される。飽きれば人は去っていき、ひょっとしたらあの頃の状態に戻るかもしれない。だからこそ、新規ファンの引き込みにここまで彼らは努力していて、そしてその努力が実を結ぼうとしている。そういう状況の中で、観客を繋ぎ止めているかもしれないことを咎める方向で進めるのは勇気が居るのではないかと思う。
あの頃のことを考えると、私は協会すらも一方的には責められない。それほど深い傷を残しているし、あの頃が有るからこそ協会も力士もファンも、今の人気に感謝している。
しかし、私は今しかチャンスが無いのではないかと思う。新しいファンが相撲に興味を抱いた今だからこそ、有るべき姿を体現するために協会が先導してこの問題に着手すべきではないかと思う。特に今、様々な観戦マナーが歪を産んでいるのだから。
出待ち。
溜席での撮影行為。
そして、コール。
この辺りについては、言われなければ分からない部分とも言える。今までは明確に対応せずとも自浄作用によって問題にならなかったのかもしれないが、外国人観光客や相撲文化に対する理解度の低下といった、2015年だからこそ発生している事象も有るので、当然これに対応せねばならない。
だがこの手の問題については、方法を誤ると敷居の高さとして認識されてしまう可能性が有るし、古参ファンによる指摘だと感情が入ってしまうのでマイナス影響を与えかねないリスクが有る。有名ファンの方が現地でトラブルを起こしたという事象も聞いている。この辺りの事情が今のところ様子を見ている理由ではないかと思う。
とはいえ、大阪や名古屋でさえも連日満員御礼が出ている今だからこそこれは出来ることだと私は思う。逆に今着手しなければ、これらの課題は悪しき文化として定着する可能性が有る。
例えば、これに着手しなかった例としては、競馬のG1に於ける手拍子が有る。ファンファーレに合わせて手を叩き、大歓声を挙げる。これはオグリキャップ以降のブームと併せて自然発生的に起こったものだが、これに反応した馬たちが我を忘れて自滅するという事例は枚挙に暇がない。この問題については批判も有ったのだが、明確な対策を講じてこなかったために20年が経過した今も尚、これは文化として継承される結果となった。そして、相変わらず自滅する馬は後を絶たない。
確かに少し難しい話だとは思う。だが、あのどん底から相撲人気を回復させたことと比べると小さなことでもあると思う。返り血を多少浴びることも有るかもしれない。だが、将来の為に血を流す断固たる決意が今必要ではないだろうか。
今よりも未来を。
これは文化的な分岐点だと思う。
相撲協会の英断に期待したい。
◇お知らせ◇
幕下相撲の知られざる世界のFacebookページはこちら。
限定情報も配信しています。