ルーティンを捨てた琴勇輝。野次との闘いは新たな歴史の始まりである。
琴勇輝が5月場所を連敗でスタートした。
2日の内容で今の出来を判断するのは難しいことだ。特に琴勇輝のような相撲は、相手どうこうというよりも自分のコンディションが結果に直結するだけに、一度良い流れが来ると誰も止められなくなる。その代わり、一度悪い流れが来ると飲み込まれていきがちである。一昔前の日馬富士のことを思い出してもらうと、琴勇輝の特徴はよく分かると思う。
さてそんな琴勇輝なのだが、今場所は一つの変化が話題を集めている。そう。ルーティンである。
相撲ファンであれば誰でも知っていることだが、琴勇輝は立合の直前に一息ついた後で「ホウッ」と言うのがルーティンだ。ルーティンと言えば琴バウアーや五郎丸のポーズのように子供でも真似したくなるほど特徴的なものだ。それと比べると琴勇輝のそれはかなり地味である。そのため琴勇輝のルーティンはそれなりに受け入れられたが、それなりのそれであった。
だが琴勇輝のルーティンは、気が付けば相撲ファンの間で市民権を得た。気が付けば「ホウッ」の直後に大声援を受けるまでに至っていたのである。
そんなルーティーンを、琴勇輝は捨てた。
審判部から「目に余る」と指摘を受けた結果だ。
そしてそんな琴勇輝に対して、追い打ちを掛けるような出来事が待ち受けていた。「ホウッ」をしない琴勇輝に対して、普段それをするタイミングで「ホウッ」という野次が多数飛んでいるのだ。
琴勇輝からしたら、たまったものではないだろう。今まで続けてきたルーティンを断腸の思いで止めたのに、取組の直前でそんなことをされるのである。声援も取組の直前は行わないのがマナーだ。余程相撲に入り込んでいない限りその声は聞こえるだろう。
この場を借りて、これから国技館に足を運ばれる方にお願いしたい。このような行為は絶対に止めて欲しい。力士に品格を求めるのであれば、観る側にも品格は求められるからだ。
そもそも私には、ルーティンを止めた力士に対してそれを思い起こさせる野次を送ることを面白いと思うセンスが分からない。力士を傷つけることが面白いのだろうか。それとも、琴勇輝に成り代わってそれを言うことが面白いのだろうか。
面白いと思う感覚は私には分からないがあまりに多くの方がこの野次を飛ばしているということは、この行為が一定の割合で面白いと思わせているのは間違いない。それは仕方が無い。だが一番の問題は、それを実行してしまうところだ。
もし琴勇輝にこの野次を飛ばそうと思っている方が居たら、是非考えて欲しい。そんなことをされたら、琴勇輝はどう思うか。それを考えたうえでこの野次を飛ばそうと思っているとしたら、私は止めない。何故なら、そのような方は話が通じないからだ。
とはいえ誰が何を言っても、ほとぼりが冷めるまではこの野次は続くことだろう。それほどこの野次は多いのだ。つまり琴勇輝は今場所、目の前の力士だけでなく観客とも戦わねばならないということである。
ただ、これは皮肉なことだと私は思う。何故なら、琴勇輝はルーティンをすることで観客を味方に付けてきた力士だからだ。
前述の通り琴勇輝のルーティンは、ルーティンと呼ぶにはかなり地味なものだ。このルーティンが市民権を得たのには二つの理由が有る。
一つは、大きな怪我を乗り越えてきたこと。もう一つは、白鵬に咎められながらも自分を貫いたことだ。
怪我を経て琴勇輝に対する声援は高まり、白鵬の指摘後、その声援は厚みを増した。つまり琴勇輝への大歓声は、その歴史に対するものだったわけである。
琴勇輝は今、試されている。観客を味方に付けるというアドバンテージを捨てるのは大変なことだ。そして、味方だった観客に足を引っ張られているのだから。
後で振り返れば、これもまた琴勇輝の歴史になる。大怪我も、ルーティンを貫いたのも、琴勇輝の歴史だ。そしてその結果が、最高位の関脇なのである。
この試練を乗り越えた時、琴勇輝はどうなっているのだろうか。三役に定着するのか。大関を目指しているのか。それとも、別次元の闘いに身を置いているのか。それは分からない。ただ、目に見える形の試練に直面する力士はそう居ない。ある意味で琴勇輝は選ばれた力士なのである。
まずは野次という大敵と克服してほしい。
話はそこからである。
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“ルーティンを捨てた琴勇輝。野次との闘いは新たな歴史の始まりである。” に対して5件のコメントがあります。
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ホウ!という観客の声は先場所までもありました。よって、今場所に限ったことではなく、禁止になったことを知らない人が言ってるだけなのではないでしょうか。知ってて面白半分にやってたとしても、琴勇輝自身は自分への声援だと捉えるのではないか、と。所詮、相撲見物はヤジだらけなわけで、力士もそれは承知の上です。外野が目くじら立てるほどではないんじゃないでしょうか。
それはそうと、琴勇輝のルーティンについて言いたいのですが、テレビ中継を見ている限り、ホウ!の声以外はすべて先場所までと変わらない動作をしています(最後の塩の前にぐるぐる腕を回す、とか)。ホウ!の声だけがルーティンではないので、念のため指摘させていただきます。
ご意見同感です。
私も初日に国技館で観戦しておりましたが、思った通り「ほうっ」の掛け声が。
まぁ事情も知らないどこかのバカか酔っ払いか、いずれにせよ多数の者がやるだろうなとは思っていましたが。
ただ現在の国技館の多数を占めているであろう、そもそも相撲に対して深い関心を持ってきたわけではないニワカ的な方々が、琴勇輝のルーティンに関する深刻な事情を知っているのかさえ疑問であり。
正直最近の国技館での観戦では、これに限らずイライラさせられることが多いですが、「みんなの大相撲」「この中の何%かはいずれコアなファンになってくれる方々」と思って耐えるしかないのでしょうかねー?
新参か古参か、今回のことは分かりません。あと、新参でも古参でもマナー良い方は良いですし、悪い方は悪いんですよね。ただ、新しい方の中で知らない故にマナーを逸脱してる方が目立つのは確かだと思います。
雰囲気を乱さぬ範囲でいかに観客の品質を保つか。言わなくても伝わる、誰かが指摘する文化は終わったと考えていいと思います。でも規制は粋を喪失させます。難しいところですね。
断腸の思いでルーティンをやめた琴勇輝をことを考えたら
確かによろしくないとは思います。
思いますが、私はちょっと別の思いもあります。
協会に対するクレームです。
土俵の充実、土俵の正常化と言われ
立ち合い前の「ホウッ」がよろしくないということで
今回の経緯になったことはわかります。
しかしながらホウッがダメで、琴奨菊の琴バウワーがOKなのは
正直よくわからないという方もいると思います。
私の周囲の相撲好きも同意見のものもいます。
一昔前なら水戸泉の塩撒き、高見盛の気合い入れポーズ
このたぐいもダメだったのでしょうか?
ダメ押しは相手をケガさせたり、砂かぶりのお客様にも
ケガさせる恐れもある。
これは多くの方がダメだと思っていたと思いますし
それだけに、先場所までダメ押しがあったあとの
お客様の反応は冷ややかでしたし、ため息や怒りを
にじませたお客様もいたと思います。
でも、琴勇輝のホウッはお客様も喜んでいたと思いますし
それは、琴奨菊や水戸泉、高見盛とも同じ反応だったと思います。
だからと言って、観戦しているお客様から
「ホウッ」が出ることがいいことではないと思いますが
「ホウッ」が見たい、聞きたいんだという
協会へのクレームとも取れるように私は感じております。
長々書いてしまいすみませんでした。
あの野次には残念な気持ちになりました。
そのうえ白星がついてこないと、無いとは思っても、少なからず影響があるんじゃないかと心配してしまいます。
また記事を読んでいて、観客マナーの変容の中で、白鵬や稀勢の里、豪栄道、勢、遠藤・・・といった人気力士は形こそ違えど、琴勇輝にとっての「野次」に当たるものと葛藤しているのかな、と同時に感じました。
ところでなぜ琴勇輝のルーティンだけが・・・という意見をよく見ます。巷では白鵬を厳重注意するために犠牲となったという憶測もありますが、琴奨菊や高見盛らのルーティンと違って、円形の土俵の中で声を出すという行為がよろしくないのだと認識しております。
いずれにせよ今場所は琴勇輝にとって大事な場所ですし、千秋楽を終えて我々の心配は杞憂だったと思えるような大活躍を期待しています。