観客が担う、大相撲の美。白鵬の優勝旗返還を大歓声で迎えた美しき光景に思う。
琴勇輝に対する野次について昨日記事を書いた。
一つの重大な覚悟を決め、ルーティンを捨てた力士に対する酷い仕打ちだと私は感じた。これは、今のファンだからこそ起きることなのだろうか。多様な価値観が許容される今だからこそ、その副作用として発生してしまうものなのだろうか。
だとすれば、これから国技館ではいわゆる相撲の美が失われていくのではないだろうか。相撲の美はいわゆる相撲の雰囲気を誰もが共有し、かくあるべきという空気を協力して醸成するところに有ると思う。つまり相撲の雰囲気に子供の頃から触れ、相撲の空気を理解せねばならない訳だ。
趣味が細分化された現代だから、また相撲人気の低迷がここ数年有ったから、その時代に相撲に触れずに育った世代に大相撲のアリやナシを求めるのは難しいことなのかもしれない。コールや手拍子が氾濫する会場の中で、相撲の美は危機に瀕しているのではないかと私は思う。
このままで良いのだろうか。素晴らしい相撲は、力士だけで作られるものではない。呼出や行司、装束や小道具やヘアスタイル、そして観客も含めて全てが大相撲を創り上げていくのである。
今のクオリティの相撲を取り続けたとしたら、競技としての相撲は魅力的であり続けると思う。だが、総合芸術としての相撲を相撲たらしめている何かが変わってしまったとしたら、それは相撲ではない相撲になってしまうことになる。
そういう危惧を抱いていたところで、私は一つのことを思い出していた。
5月場所の初日のことだ。
白鵬が優勝旗を返還した時、館内は大歓声に包まれていた。驚くべきは、そこに野次も罵声も一つも無かったということだ。
あれだけのことが先場所起きたのだ。忘れようにも1ヶ月半という歳月はあまりに短い。誰もが白鵬が千秋楽に行ったことを鮮明に覚えている。落胆した人々の多くは表彰式も見ずに会場を後にしていたし、怒りに震えるファンは表彰式で白鵬に罵声を浴びせていた。
例えばこれがメジャーリーグだったらどうだろうか。物議を醸した選手は、長い間観客からの攻撃を受け続けることになる。アレックスロドリゲスはヤンキースタジアム以外の球場では常にブーイングの対象だ。特大のブーイングは、もはや挨拶代わりではなく挨拶そのものである。
例えばこれがサッカーだったらどうだろうか。アウェイの選手のスターティングメンバー発表の時に、川崎フロンターレのゴール裏のファンはブーイングを浴びせる。過去に遺恨が無くても、この時ブーイングは起こる。
私は野球やサッカーに於けるブーイングを悪いものだとは思わない。相手の力を認めているからこそ、リスペクトしているからこそ発生するものだ。本当にその選手やチームを嫌いなことも有ると思うが、その大半はあくまでもライバルという立場から嫌がっているというだけの話である。
大相撲は拍手や歓声だけで迎えることが文化なのだとすれば、彼らはブーイングを文化としている。リスペクトの有るブーイングは、近くで聞いていて悪い気はしない。そういうコミュニケーションなのだということが分かるからだ。つまり、彼らはブーイングを着こなしているのである。
ただ、私は白鵬に対する大歓声を聞いて心底感激した。
この歓声は決して白鵬に対して全てを許したということを意味するものではない。今の白鵬はあらゆる相撲ファンから尊敬される力士ではなく、ハッキリ好き嫌いが別れる力士である。猫だましの是非が見事に二分されたことからも、白鵬への現在の評価が分かることだと思う。
色々有った白鵬が手段を選ばずに全力で掴み取った優勝旗を返還する時、今の文化であればブーイングや野次を浴びせることも出来たかもしれない。しかし、それは結局出来なかった。出来なかったどころか会場の全員が敬意に満ちた空気を産み出した。
琴勇輝への野次も浴びせられるかもしれないが、優勝旗返還の際は綺麗に振る舞う。敬意を表さねばならないという空気を感じると、気ままに振る舞うのが野暮に感じる。逆に敬意の無い荒れた空気の場だとすると、言葉も態度も荒れがちである。
ブーイングが着こなせる文化も有ると思う。ファンが徒党を組んで妨害行為に勤しむことがキュートに映るスポーツも有ると思う。
だが、相撲は相撲なのだ。
色々と思うところは有っても、リスペクトを払うべき相手に対して最大限の敬意を払う。それを、10000人を超える人々が全て実行する。こんなに美しい光景は他には無いと思う。
大相撲は感謝や敬意をストレートに形にして見せるのが文化だ。その感情を歪めることで逆説的に敬意を見せる文化も有る。だが、感謝したのであればそのまま感謝することこそ美しいと私は思う。
変化せざるを得ないもの。
変化することに揺れるもの。
そして、変化を頑なに拒むもの。
時代の変化の中で、文化には3つの別れ道が出てくるが、変わらないからこそ大相撲は美しい。私はファンという立場から、微力ながらその担い手になりたいと思うのである。
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