春日山部屋の消滅を、川崎フロンターレサポーターとして残念に思う。
川崎から春日山部屋が、消滅する。
相撲協会は12日に理事会を開き、春日山親方に辞任を勧告した。報道によると年寄名義にまつわる一連の訴訟に加えて、部屋の師匠としての責任を果たしていないとの判断が為されたことから今回の決定に至ったそうである。
春日山親方の回答期限は19日だが、辞任をひっくり返すのは容易なことではない。むしろその道が有れば私が知りたいくらいなのだが、春日山親方が窮地であることは間違いない。
この決定が通れば現在の弟子達は追手風部屋所属になるそうだ。つまり、川崎から春日山部屋が消滅するのである。ただ、別の師匠が擁立できれば復活も有るのだという。しかし川崎に残るかは、師匠次第である。
私は春日山部屋を通じて、川崎フロンターレを知った。ニュースで結果を追いかけ、時には等々力競技場に足を運んだ。初めて等々力で観戦してから3年経過し、フロンターレは私の一部になりつつある。
未だに戦術も何も分からないのだが、サッカーが楽しく、そしてサッカーは単に競技場で見るだけのものではないことを、私は等々力で知った。試合開始前にちゃんこの屋台が並び、元選手が競技場の外で訳の分からないキャラクターに扮している。それも、元ディフェンスリーダーだった選手が。
それは間違いなく、現場でなければ知り得なかったことだ。
日本代表の試合をテレビで追いかける見方も当然楽しい。だが代表選手の多くは、こうしたJリーグという日常に身を置き、切磋琢磨することによって成長し、海外に巣立っていく。代表戦という非日常の陰には、地域に根ざしたJリーグがある。そしてそのJリーグには、川崎フロンターレのようなチームがある。
3年前の私は、相撲しか知らなかった。だが、相撲を通じて私は川崎フロンターレとJリーグを知ることができた。サッカーという選択肢と、サッカーという目線ができたこと。そして何より、フロンターレという楽しみ方を覚えたことは、本当に幸せなことだった。
しかし、そのフロンターレという楽しみ方を生み出すルートが潰えようとしている。相撲ファンからフロンターレへ、そしてフロンターレから相撲へ、という奇跡のような繋がりは、川崎という街だからこそ生み出されたものだ。
競技の垣根を超えて交流を果たし、強い絆で結ばれる関係性を持つのは難しいことだ。そこには草の根レベルでの努力が必要だ。そして、長期に及ぶ継続的な活動が必要だ。フロンターレと春日山部屋の関係性は、そう簡単に生み出せるものではない。
だからこそ、惜しいのである。
春日山部屋は、川崎に相撲をもたらした文化遺産だ。歴史は短いかもしれない。だが、確実に地域に相撲の土壌を創り出したのである。これは春日山部屋とフロンターレの快挙だ。
様々な事情がある。そうした事情は春日山部屋を川崎から巣立たせるかもしれない。市井の人々の声は、事情を止めることは出来ないかもしれない。仕方がない側面もあると思う。
それでも、川崎が春日山部屋を失う自体は全力で避けてほしい。それが大相撲ファンであり、フロンターレサポーターである私の願いである。
「好きです川崎、愛の街。」
川崎市民なら誰もが知っている言葉だが、これもフロンターレが思い出させたものだ。やはり、川崎から相撲の灯を消してはならないのである。
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いつも楽しく拝見してます。
私は川崎フロンターレのサポーターで、この「幕下相撲」ブログは4年ほど前から愛読しております。
ニシオさんの相撲愛、幕下愛(とりわけ吐合愛)、そして「幕下=俺達である」との主張に感動し、競技は違えどアスリートを応援する者として深く感銘を受けたものでした。
それだけに、ニシオさんが春日山部屋を通じて川崎フロンターレに興味を持ち、SNSや当ブログで触れていただいた時は、天にも昇る心地でした。
最大限のリスペクトをもってクラブの取り組みやサポーターの姿勢を賞賛して下さり、大袈裟ではなく涙が出るほど嬉しかったです。
奇しくも風間監督の退任リリースと同じ日に明らかになった春日山部屋の消滅問題。
フロンターレのサポーターは大なり小なりショックを受けています。クラブスタッフも同様でしょう。
そして、フロンターレのサポーターのみならず、他クラブのサポーターの方からも
「等々力の塩ちゃんこ、どうなっちゃうの!?」
と心配する声が挙がっています。
「春日山部屋の存在は、かくも深くJリーグファンの中に浸透していたのか」と、今回の騒動で改めて思い知る事になりました。
ニシオさんがおっしゃるように、今回の件で我々が春日山部屋の為にできる事は皆無です。
それだけに、無念で残念です。
ただ、ニシオさんをはじめとして、その無念さを共有できる仲間がこれだけ大勢いるという事は、不適切かも知れませんが、私の中では「救い」になっています。
この先どうなるかは分かりませんが、春日山部屋の力士・行司・床山の皆さんが引続き相撲に携われる事、そして春日山部屋の1日も早い再興(できれば川崎市内で!)を願ってやみません。