貴乃花と白鵬のファンサービスの違いに思う。

最近、相撲界では気になるファンサービスが
展開されている。
一つが貴乃花が展開する、吉本新喜劇への出演。
もう一つが白鵬の、巨人キャンプへの参加。
二人ともかなり大きなニュースにはなっているが
アプローチは真逆と言って良い。
ここで言うアプローチというのが
実はファンの相撲への姿勢を決める
非常に重要なもので、このポイントを正しく抑えていないと
ファンサービスは全くの逆効果となってしまう。


貴乃花のアプローチは以前紹介した、
アイドル的「完成度の高い中に見せる、
生身の女の子のほつれ」である。
想像を絶するほど可愛らしい、
という完成度を誇る中に
歌やダンス、トークで至らぬ点が有り、
それが完成度と相反するために
ぐっと来るというのが萌えの構造で、
貴乃花が吉本新喜劇に出るということは
正にこれを狙うことになる。
基本的に相撲取りと言うのは土俵を下りれば
全てが萌えに変容する存在である。
太った体格。
ちょんまげなどの独特の出で立ち。
そして、ボクシングや野球選手にも見られる
おバカ的な素養。
相撲をしていないだけでこれほど
ほつれ成分で出来ているだけに、
何をしてもそこには萌えが生まれる
というわけである。
力士が大量にご飯を食べたり、
豆をまいたり、
一日署長をしたり。
そう。
土俵上の完成度は確実に破綻することになるのだ。
だが、吉本新喜劇に出るというのは
大きな問題が有る。
つまり、自ら萌えを提供しようとしてしまう
という点である。
萌えというのはあくまでも
ほつれようとしていないのに
自分が自分で居ようとするだけで
ほつれてしまうが故に発生するのである。
力士がご飯を食べるというのは
決して計算が有るわけでもなく、
日常でありながらその食べ方や
尋常ではない量を食べる様子に
普段見られないキュートさが滲み出てしまう。
だが、吉本新喜劇で現れる萌えというのは
滲み出るキュートさではなく、
単に仕掛けられたキュートさということになる。
確かにそこにも萌えは存在するのだが、
その見せ方は滲み出る類の萌えと比較すると
確実に弱いと言わざるを得ないのだ。
また、土俵上での完成度というのが
萌えの前提になっているにもかかわらず
世間ではその完成度に対する認識が日増しに弱まっている。
巨人大鵬卵焼きの時代であれば
力士の父性的な強さというのは
国民的なリスペクトの対象であったが、
昨今の相撲界でのスキャンダル報道や
強さへの憧憬の薄らぎという側面から
相撲はリスペクトを失い、どちらかというと
本来はほつれとして認識されるべき
マイナス側面が強調される結果となっている。
つまり、今吉本新喜劇に出たのでは
具志堅用高がバカを売りにして笑いを取っているのと
同じ類の結果になってしまう訳である。
具志堅の現役時代を知っていれば
リスペクトが下敷きに在る上で笑うことが出来るのだが、
今テレビを観ている人の多くはその完成度を知らない。
つまり、具志堅がバカをやったとしても
単にバカな人がバカをやっているとしか見られない。
そういうアプローチで相撲界が見られてしまうとなると、
只でさえリスペクトが無くなっている風潮を
更に加速させる結果になりかねないのである。
ファンを楽しませたいのかもしれないが、
それは今相撲界が面している状況を考えると
適切なアプローチと言えない訳である。
そこで私は何が今、相撲界にとって
必要なファンサービスの在り方かを考えた。
そして意外なことにそれは既に
白鵬が実践していたのである。
続く。

貴乃花と白鵬のファンサービスの違いに思う。” に対して2件のコメントがあります。

  1. おっちゃん より:

    チョット頭が固すぎないかい?
    そんな解釈ではなんでも、何とでも悪く取れるでしょう。
    ものの見方が意地悪すぎるというのが私のあなたに対する印象ですけどね。

  2. NIhiljapk より:

    >おっちゃん さん
    コメントありがとうございます。
    受け止め方は人それぞれだと思いますが、
    特に意地悪く解釈をしているつもりは無いです。
    力士には強さの裏返しとして
    キュートな萌えポイントが有るということ、
    そして力士はリスペクトを失いつつあること、
    それ故に萌えが萌えとして成立しなくなってきている
    と感じているだけなのですが…

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