偽朝青龍のツイッター問題について。
朝青龍を騙るツイッターが出回っていたらしい。
本人か否かを厳密に確認しないツイッターの特性上、
これまで朝青龍本人であると信じた人が3000人ほど
偽朝青龍をフォローしていたのだが、
本人がこれを否定したため発覚してしまった。
有名人を騙るツイッターが実は別人が
つぶやいていたという事例はこれまでも散見していたことから
それ自体は特別なことではないのだが、
朝青龍がツイッターをしていなかった、ということには
実は大きな意味が有る。
そう。
朝青龍は現役時代、大ヒールとして君臨していたからである。
昇進するに連れて様々な問題を起こし
批判される機会の多かった朝青龍が
自らの主張をマスコミを介さずに発信したい、
と思うのは至極当然なことである。
確かに彼の素行には問題はあった。
それ故に「ヒールとしての朝青龍」として
バイアスが掛かる形で彼の発言は報じられる結果となった。
真偽のほどは定かではないが、とある記者から
高校時代から差別を受けた経験はなかったかなど、
日本について嫌いと言わせたい、また某国について
好きだとあからさまに言わせたい誘導尋問が有ったとも言われ、
それを察した朝青龍がキレたとされている。
また、そのインタビューが有ったとされる直後から
某スポーツ紙が突如として批判的な記事を書くようになった、
とも言われているのである。
考えてもみると、小錦の現役時代に
「相撲は喧嘩だ」と発言したとされて
大問題になったこともあったのだが、実際は
sumoはfightingであると表現しただけであった。
「松井秀喜が契約できないのはダルビッシュに時間を掛け過ぎたから」
のような松井上げ他選手批判という構図が存在する
野球界と比較すれば、相撲というのは
それでもまだバイアス無く報道されている方である。
しかし、力士の言葉はマスコミを経由している以上、
そっくりそのままファンに伝えられるということは
有り得ないのが実情である。
スポーツライティングを通じて更に魅力的に映し出される
面白さというのも存在するが、
書き手の結論ありきで言葉を用いてしまうと
真にとは別の受け止められ方をしてしまう危険性は
避けることが出来ない。
だからこそ、私達は発している言葉や行動にこそ
耳を傾けるべきだし、発信する側の見解というのは
あくまでも一つの角度からのものであることを
認識しなくてはならない。
朝青龍のツイッター問題というのは
実はアスリートとメディアの関係を再考すべきであることを
示しているのかもしれない。
朝青龍のこれまでの経緯を考えると、
私はそう思うのである。