白鵬と力石徹。

漫画「あしたのジョー」では、ジョーのライバル:力石徹が
矢吹丈との対戦前に地獄の減量に取り組むという
名シーンがある。
一切の妥協を捨て、本来の体格とは異なる
階級に下げるべく限界まで己を追いこむ力石。
だがある日、減量に耐えかねた力石は
水の滴り落ちる音を聴き、遂に限界に達する。
走り出す力石。
あらゆる蛇口を探し求め、深夜のジムを徘徊するという奇行。
だが、蛇口は全て水が出ないように固定されていた…
私はこのシーンを思い出すきっかけになったのは、
14日目、白鵬が稀勢の里との対決を変化することで制した
あの一番である。


日馬富士と全勝で並ぶという状況の中で、
横綱としての真価が問われる一番。
唯一白鵬が苦手とする稀勢の里に対して
どのような熱戦になるかと、観衆の期待は高まった。
と、この状況での変化。
勝利を手中に収めながらも、
待っていたのは当然のように批判の声。
期待値が高い分だけ、期待に添わない内容で有れば
批判の声が挙がることは致し方ないだろう。
白鵬は、正面から稀勢の里に対峙することから逃げた。
これは紛れも無い事実である。
いわゆる横綱像からすれば有ってはならないことだし、
これが許容されたのでは相撲は道から
単なるスポーツに転落してしまうことだろう。
だが、考えてほしい。
この立ち合いの変化をしたのは、あの白鵬なのである。
八百長問題に揺れる相撲界の屋台骨を支え、
大関が育たないと言われる中で
一人横綱としての重責を果たした、あの白鵬である。
カラフルな言動と過激な行動で物議を醸し続けた
朝青龍との二人横綱時代に、その対抗馬として
品行方正であることを義務付けられた、あの白鵬である。
このような背景を持ち、横綱としての理想像を
一心に背負い体現することをアイデンティティとする
白鵬が変化で勝利を掴んだとことを
もっと考えてほしいのだ。
恐らく横綱審議委員会も、理事長も、
横綱としての品格だ、自覚を持てだのという言葉で
白鵬を批判することだろう。
だが、彼のこれまでを想えば、
そんなものは歴代の誰よりも備えていることは明白だ。
私は思う。
白鵬が逃げるということは、誰でも逃げたいという
究極の状況であったと。
勿論それは許されることではない。
この批判に白鵬は向き合い続けることになるだろう。
だが、その批判を置いても、彼はあの一番で変化した。
それほどに白鵬は追い込まれていたのである。
私は白鵬の横綱昇進以降、
取組後に朝青龍に小突かれた時以外で
このような姿を観たのは初めてである。
横綱白鵬が、生身の人間:ムンフバティーン・
ダワージャルガルに戻った瞬間。
極限まで追い込まれると、神に近い存在ですら
あの日の力石のように醜態を晒すことになる。
ジムの一人娘:白木葉子はそんな力石を目の当たりにして
衝撃を受けると同時に、彼がまだ人間的な部分を
捨てていなかったということにシンパシーを覚える。
そう。
私も、白木葉子と同じ感想を抱いていたのだ。

白鵬と力石徹。” に対して9件のコメントがあります。

  1. シリコン より:

    nihiljapkさん
    コメントに対する返信ありがとうございます。他人が伝える点で、メディアが発信する情報が全て本当のこととは限りません。勿論、ネットでも同じことが言えます。こういった情報を鵜呑みにせず判断するのが重要だとこの問題で改めて思いました。そして、白鵬が「やっぱり合わせないといけない」と反省したのに対し、稀勢の里は「うまく心を読まれた」と言っていることからも横綱としての自覚の差があるような気がします。

  2. あしたのジョー より:

    あの注文相撲の後、ネットでは白鵬に対する非難が沢山上がっていたなか、私の思いと比較的近いことを書かれているブログだったのでコメントさせて頂きます。
    私も、1人横綱としてずっと揺れる相撲界を支えてきた白鵬は、様々な重圧から心身ともに疲労して相当追い込まれていたのではと思っていました。
    白鵬は横綱に昇進して以降400勝以上をあげましたが、
    変化して勝ったのは今回が初めてですし、
    土俵上で相手を睨んだのも朝青龍との例の1番以降ですよね。
    外国出身でありながら、日本の中でもとりわけ特殊な相撲界で、
    おっしゃる通り、「横綱としての理想像を一心に背負い体現する」
    べく相当な努力を積み重ねてきたことは確かだと思います。
    でもどんなに優れた人間でも神ではないのですから、
    完璧はありえません。
    >彼のこれまでを想えば、
    そんなものは歴代の誰よりも備えていることは明白だ。
    本当にその通りだと思いました。
    かつて横綱であっても、他の横綱の品格云々を言えるのか?
    という解説者や、
    「横綱の大変さは横綱にしか分らない」と言われるとおり、
    相撲界に深く関わっていても、その本当の苦労を知らない
    解説者や横審の人々が、
    白鵬の今回の立会い変化には相当厳しいことを言っていますね。
    随分と努力を重ねてきて、殆どの場合「横綱の品格」を体現してきた白鵬が、
    思わず咄嗟にやってしまった、たった一度の立会い変化に対して、
    こんなに批判するとは、
    「批判する方こそ、自身の品格を考えてから他人の批判をしろ。」と言いたいです。
    一点、私と意見が違うところは、
    今回の立会い変化は「逃げ」ではなかったのでは、
    という点です。
    取り組みの際は両者とも、極限の状態、闘争本能全開で戦っているので、
    相手が無謀に突進してくるのが見えたときに、
    理屈ではなく「咄嗟に体がそう動いてしまった。」
    のでは、と思っています。
    長いコメント失礼しました。

  3. Nihiljapk より:

    >あしたのジョーさん
    コメントありがとうございます!
    実際やらかしてしまった以上
    批判している人が多いのは仕方ないですが、
    それにしても白鵬のこれまでについて
    思いを巡らせずにフルスロットルで叩くモードなのが
    どうにも判らないのです。
    彼の残した功績というのはある意味
    貴乃花や千代の富士に匹敵すると思います。
    力士が生き辛い、不祥事続きの中、
    看板を背負ってきたことに対するリスペクトが無い人でなければ
    あのような論調にはならないのではないかと感じるのです。
    そして今、一番そのことを責めているのは
    白鵬本人だということは彼の生き方を考えれば
    簡単に判るはずです。
    批判には愛情が無ければ只の罵倒になりかねません。
    私は白鵬はそのような仕打ちを受けるべき存在ではないと思います。
    立ち会いは逃げではなく咄嗟に動いた、という考え方
    よくわかります。
    実際今回立ち会いの変化を受けてしまったのは、
    完全に稀勢の里の手落ちでもあります。
    どうもこういう重要局面での注文相撲を受けやすいんですよね、
    稀勢の里。前もバルトに喰らっていましたから…

  4. あしたのジョー より:

    nihiljapk さん、
    私のコメントに対するレスポンスありがとうございました。
    >そして今、一番そのことを責めているのは
    白鵬本人だということは彼の生き方を考えれば
    簡単に判るはずです。
    これも全く私と同感です。
    こういったコメントを私は他で目にしなかったので、
    ここで見れたことをとても嬉しく感じました。
    ネット上には、「自分は冷静だった。」
    と白鵬がコメントしていた、と書かれていましたが、
    これもある意味本当だろうな、と思っています。
    でも同時に「自分にも悪いところがあるから。」
    とも言っていましたね。
    非常に真面目に「横綱としての品格」を体現すべく
    努力してきたが故に、
    自身が起してしまったことの重みも非常に感じていると思います。
    その精神的なダメージが翌日千秋楽の取り組みに現れないとよいのだけど、
    と心配していましたが、残念ながら心配どおりになってしまいました。
    本日7月23日に発表された横綱審議委員会のコメントも
    随分白鵬に厳しかったですが、
    今までの彼の、大相撲に対する貢献をレスペクトしているなら、
    あんなコメントは出ないのでは、と
    読みながらとても悔しく感じていました。
    そして白鵬本人のコメントとは裏腹に、
    彼の稽古量は最近充分でないのでは、
    とは私も感じていました。
    最近相撲以外の活動が随分多い気がします。
    でもこれも一部は、相撲協会が、堕ちた相撲人気を回復させるべく、
    白鵬を随分利用しているためだろうと思っています。
    協会や解説者が「白鵬は最近稽古不足」と批判するなら、
    白鵬が稽古に集中出来るような環境をつくってやれ!
    と思います。
    でも今回のことで、ネット上で白鵬を非難するばかりでなく、
    ものすごい数の、彼を擁護するコメントも出てきていて、
    やはり、彼の今までの努力を見ている人はきちんと見て評価しているのだな、と安心もしました。
    今回のことで、白鵬もかなり傷ついていると思いますが、
    それでも評価してくれている人は多数いるのだ、
    と感じ取れることで、彼はいっそうの精進をしてくれるのではないかと、期待しています。

  5. シリコン より:

    初めてのコメント投稿です。白鵬と稀勢の里。この大一番で熱戦を期待された中での変化。確かに裏切られたという思いもありますが、あれはルールの範囲内でやったものであり、白鵬自身は批判される立場ではないと思いました。そして、ネットのコメントを見ると「品格がない」などと言ったお門違いのコメントが多々見受けられたので、視聴者とファンの意識改革も必要ではないかと感じました。

  6. あしたのジョー より:

    3度コメントさせて頂きます。
    >白鵬へのリスペクトの欠落は、相撲そのものに対する信頼の失墜と
    外国人であることによってファンと少し距離が出来ていること、
    何よりもメディアが相撲に対して何を言っても許される、
    という姿勢が総合的に醸成しているように思います。
    同感です。
    すべてのメディアがそうではありませんが、
    政治に対しても兎に角なんでも批判すればよい、と。
    これでは、メディアの受け手である視聴者に、
    他人に対するレスペクトの感覚が芽生えるのは難しいかも、
    と思われます。
    >外国人であることは、もっとフラットに見られれば良いのですが
    外国人なのに相撲を支えていることに対する感謝、
    という観点にはならないんですよね。不思議と。
    日本人がだらしないから結果として外国人に頼ってる、みたいな感じで。
    確かに「日本人がだらしないから結果として外国人に頼ってる」
    という観点から書かれている記事、ネットユーザーからの
    コメントが多いですね。すべてではありませんが。
    何故そんなに日本人横綱や日本人の優勝にこだわるのか
    私には分りません。
    また白鵬と稀勢の里との立会いに関して、
    こっちが悪い、あっちが悪い、
    という論調にも違和感を覚えます。
    これは片方だけを一方的に批判すべきことではないと思うからです。
    稀勢の里にしてみたら、
    本来は千秋楽に組まれるはずだった取り組みが、
    1日前にずれてしまい、
    東の正大関としては屈辱的だったのだろうし、
    また散々、日本出身の力士で優勝候補だと言われていて、
    すごく気負っていたのでしょう。
    そんな思いが、稀勢の里らしいのですが、空回りして、
    2度の突っかけ&あんな立会い、
    になってしまったのだろうと思われます。
    アメフトのタックルではないのだから、
    下しか見ないで無謀に突っ込むのではなく、
    やはりきちんと相手を見て立会いをしないとならないでしょう。
    これは大関として必須の心得と思われます。
    また白鵬が立会いで、稀勢の里をかわしてしまったのは、
    咄嗟にそう体が動いてしまったのであって、
    これは理屈や打算ではないだろう、
    と私が考えていることは前に記したとおりです。
    それは今までの横綱になって400勝以上あげた
    取り口から考えられることです。
    ただ熱戦を期待していたファンからしたら、
    非常に失望する立会いであったことは間違いないでしょう。
    しかし、相撲がスポーツであるかどうかの議論は別にして、
    少なくともルールに則って勝敗が決まる競技である以上、
    ルールには違反していないのに、
    後になって「横綱として品格に欠ける」と言うことも
    違和感を覚えます。
    そう言うなら、「横綱として品格に欠ける」決まり手は何なのか、
    きちんと定義して、力士を教育していく必要があるのではないでしょうか?
    これだけ外国出身の力士が増えていて、
    相撲界はむしろ日本の中では非常にグローバル化の進んだ
    団体です。
    日本独特の不文律を外国人に言っても、一般的には
    理解されるのは中々難しいのではないでしょうか?
    やはりきちんとした定義と教育が、いまや不可欠だと思います。
    言いたいことは、理事長&審判部長&横審が、
    (知っている範囲では)すべて白鵬を叩くコメントを出しているのが、
    一方的でフェアでない、ということです。
    これは白鵬が日本人ではないから、という人達もいますが、
    私はそうではなくて、夏場所の琴欧州の件についてもそうですが、
    ただ単に彼らは、
    ファンの心理に寄り添う(と彼らが考える)コメントを出しているに過ぎない、
    悪く言えば、ファンにおもねるコメントを出して、
    これ以上人気が低迷するのを防ぎたい、
    という心理なのでは、と受け取れます。
    現在相撲が興行として成り立っているのは、
    大部分が白鵬のおかげなのに、皮肉な話です。
    一方的に人を責めるのではなく、
    どうしたら問題を防げるのか、と物事を建設的に考え、
    そして実践していく姿勢が、
    相撲界に限らず、社会の構成員である我々にとって
    必要なことだと思います。
    再びの長いコメント失礼しました。

  7. Nihiljapk より:

    >すーもさん
    コメントありがとうございます。
    私もあの一番を確認しました。
    確かにあの突っかけ方は無いですね。
    そういう意味で彼が考えを改める必要は大いにあると思います。
    一方で横綱が大事な一番を変化で取ったということは
    事実として残ります。
    あっけない形で終わったという、
    誰もが望まない結末だったことについては
    道であるにせよ、スポーツであるにせよ
    エンターテイメントであるにせよ
    いかなる面からみても疑問が残ります。
    そう考えると、お互いが至らぬ点を正すべきではないかと
    感じるのです。

  8. Nihiljapk より:

    >シリコンさん
    コメントありがとうございます。
    至らぬ点は治すべきですが、
    今回の批判は綺麗事を並べて相撲ならびに
    白鵬を否定する材料にしたいだけではないか?
    と疑いたくなるものばかりで悲しいです。
    相撲の名誉回復するためにも、
    メディアではなく、視聴者が情報を選別して
    正しい認識を持つような工夫が必要だと感じました。

  9. Nihiljapk より:

    >あしたのジョーさん
    実は今回ご指摘の点が、次回のブログの主題になります。
    種明かしをすると、
    最近相撲をめぐる否定的な報道が目立ちますが、
    結局報じる側が望んだ結果が得られなかった際に
    綺麗事を並べて否定しているだけのように思うのです。
    否定するには綺麗事を並べるのが一番簡単です。
    そして、どんな競技でも綺麗事の範囲で収まらないのが常です。
    だからこそ小さい力士が変化しても、
    柔よく剛を制す精神や判官びいき的な視点から
    正々堂々ではないけど、そっちのほうが面白いから
    いいじゃねーか、になっているように感じるのです。
    横綱が少しでも立派でないことをすれば
    品格という魔法の言葉を出せば否定できます。
    大きな力士がまともでない形で勝つと
    正々堂々とか真っ向勝負という言葉が待っています。
    反省すべき点は有っても、
    あくまでも行為に対する批判をするに留めることが
    報じる側の責務だと思うのです。

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