WBC不参加と、相撲。
WBCにプロ野球選手会が不参加の意志を表明した。
MLB主導で、収益の大部分をMLBが確保することや
メジャーリーガーにとって3月は調整段階に過ぎないこと、
そして目玉となる選手の中に不参加者が多発したことなど、
WBCは興行上の問題が非常に多かったことは否めない。
このような状況の中で開幕前にコンディションを整え、
負ければ北京オリンピックのGG佐藤や星野仙一の如く
キャリアの名声を全て無に帰すどころか
悪いイメージが先行するという大変なリスクを
背負った上で彼等は戦ったのである。
一時のブームは起こっても、
日本野球を取り巻く環境はWBC連覇後も結局変わらず、
観客は減少する、地上波での放送はほぼ無くなる、
という状況を目の当たりにすれば
誰しも同じ苦しみを味わえと言われても
二の足を踏むのは仕方が無いことであろう。
だが、WBCは平日でも視聴率50%を叩きだす
国民的関心事である。
野球がこれほどまでに注目される機会は
WBCを置いて他に無いのは事実である。
確かに彼等が背負うリスクは割に合わないことも
事実だが、そのリスクに見合うだけの
熱狂がそこには有るのだ。
さて、国際大会という視点で相撲を観ると、
一体どうだろうか?
昔は比較対象が野球や柔道、
ラグビーといった国内スポーツだったのに対して
サッカーを始めとする世界のトップ水準の
スポーツであるところに大きな違いが有る。
国内でのみ関心を抱かれるのと、
国の代表として世界を向こうに回して闘うのとでは
どちらが魅力的だろうか?
答えは言うまでも無いだろう。
ましてや日本というのは「世界にどのように見られているのか?」
ということを過剰なまでに意識する民族である。
2か月に一度同じ人達と小さい円の中で押し合う相撲は、
果たして競技として魅力的なのだろうか?
少なくとも他の競技と比較して魅力的には
映りにくいことだけは確かである。
だからこそ、競技を魅力的に見せるための
エッセンスとして国際大会が定期的に行われ、
且つ国民的な関心事として既に魅力的なコンテンツにまで
成長しているWBCを捨てるというのは
競技の今後を占う上で大変な損失と言わざるを得ないのだ。
野球に有って相撲に無い、競技への関心がゼロの人すら
相当な割合を取りこむことが出来る機会。
それがWBCなのである。
相撲にもこうした機会が有れば、
力士に対する思い入れが深まり、且つ
勝っても負けてもそこにはドラマが生まれる。
ドラマの中に人は自己を投影し、
登場人物に親近感と思い入れを抱く。
こうした筋書きで相撲を観ることが出来れば、
それはまた素晴らしく魅力的なことである。
だが、私達が観ている相撲には国技としての奥深い楽しみが有る。
技術の研鑽、ビルドアップ、道の心。
全ては相撲ならではの魅力である。
相撲は道であり、神事であって、スポーツではない。
国という枠組み、スポーツというカテゴリに属さずに
頑なに守ってきた文化だからこそ魅力的とも言える。
柔道を捨て、JUDOに変質した今、
かつての柔道は無い。
相撲だって、アマチュア相撲や世界選手権は別物である。
ヤーブローはスモウレスラーであって、
断じて力士ではない。
だからこそ、相撲が魅力的であることを
多くの人に共有してもらうために、
一体何をすればよいのか?
それが一番の問題である。